2023

 

毎年、漢字を選んでいる年の暮れ。

今年は「天」かなぁ

 

「問」も候補に上がったけれど。

 

 

今年はすごい年だった。

生きているなーと実感するような年だった。

 

 

さてどこから語ろうか。

 

今年の頭は百貨店の催事ではじまった。

春にはテレビの取材と撮影があり、お客さんの数が圧倒的に増えた。

1-4月までは仕事でとにかくいっぱいいっぱいだった。

 

でも疲れを麻痺して感じなくなるくらい、気持ちとしては楽しかった。

今と比べ物にならないほど、体力が蓄えられていて、どこまでも働けるなんて思っていたのかもしれない。

 

でもその裏では、こどもを授かりたい気持ち、引っ越しまでの頭の中のプランに間に合わない焦りが着々と心を蝕んでいっていた。

バレンタイン時期は毎日チョコレートケーキの切れ端を食べながら、これじゃだめだな、これだからだめだな、でも何も進まないからいいかな、なんてことを考えてばかりいた。

 

つらい気持ちを感じられないくらい、肉体的にタフな時期が続いていた。正直この頃の記憶はほとんど残っていない。

 

ゴールデンウィークにはいったころ、日本橋での暮らしの終焉を迎えるにあたって、思い出にただただ浸りまくっていた。

大好きな街を離れる寂しさ、不安、いろんな感情があったと思う。でもこれも記憶にほとんど残っていない。

 

5月の半ばに引っ越しをした。

今ではすっかり、わたしのいえというかたちで落ち着く場所になった。

きっとこれは最初の方からそうだった。

 

今まで引っ越しをしても、結局どこかで実家や新潟の前の家が1番落ち着くな、帰る場所だなと思っていたけれど、

今度の家はそれを超える。

 

空間も家具も場所も広さも全部が自分たちで選んだもので

とにかく心地がいい。

 

 

特に季節がいいときは、太陽の光がさして、カーテンをふわりと揺らしながら気持ちの良い風が吹く。

それを思い切り堪能できる庭があることもまた、幸せを作ってくれる大きな要因になっている。

 

今年引っ越したことを忘れるくらい、もうすっかり馴染んでしまっている、じぶんたちのいえ、だ。

 

そしてここからが2回の妊娠と流産。6-11月はほとんどこればかりに脳みそが、からだが、支配されていた。でも気がつくことがとにかくたくさんあった。

全て天から与えてもらった試練とメッセージだったのだ。

 

半年ほど全く前に進めていなかった妊活。

2人でひとつになって歩んでいくのよ、そうすれば進歩する、まずそれを教えてくれたのが初めての妊娠中のとき。

自分だけの気持ちが前に前に焦りに駆られていたときと、歩みをそろえて動き出したとき、明らかな違いがあった。

 

その時に初めて、あなたは妊娠できるのよと教えてもらうことができた。

 

結局それは数週間ももたなかったけれど、それを機に天国?なのか、目に見えない世界なのか、どこかからの声をたくさん受け取るようになった。

 

天からの声と捉えるのか、

視野が広がって新しい考えた方を持てるようになったのか、

どっちでもいいけれど、

自分の感覚としてはどんどんどんどん今まで持たなかった考え方が上から降ってくるようなイメージだった。

 

1度目の初期流産のあとは、自分にいろんなことを尋ねてみて、休みを増やす勇気をとった。

それは効果覿面で、生活にゆとりがうまれて

たまたま夏休みの時期もあり幼なじみに会う機会もたくさん作れて、自分の原点を見つめ直すような時間をたっぷりととることができた。

 

そうするとからだもこころも、本当に元気に回復した。

ふしぎだったけど、あ、次妊娠するなってわかる感覚があった。

これも天から受けていたメッセージだったのかな、それともただの直感が冴えていただけだったのか。

 

 

6月の時も、8月の時も、日記を見返すと

赤ちゃんだいすきだよ、まもっていくよと

この言葉、感情は常に抱いていた。

それがとってもとっても、幸せな感情だったことは今でもぼんやりと思い出すことができる。

そう、今までの人生では抱くことの一度もなかった、新しく、かつ最大級に愛に溢れたこころ。

愛と祝福で自分自身を満たすことができていた時期だった。

 

本当にしあわせにつつまれて最高の8月だった。

夏らしいこと、海に行ったり星を見たりキャンプをしたり山に行ったり、好きなことは何にもできなかったけど、そんなことしなくても、全然いい

守ること、その使命を与えられて愛をたっぷり感じた夏だった。

 

 

そのあと。

ここから11月の下旬までは、本当によく生き抜いたとおもう。

いまの自分なら、その頃の自分をほめてあげられる。本当にがんばったよ、じぶんよありがとう。

 

流産、入院、手術、ひきこもり。

そのあと回復して、関西訪問。

ここからしっかりエンジンをかけてしまい(ここが結構な過ちだった!)、

主人の骨折、手術、風邪、

カンピロバクター、うつ、主人の風邪、うつ、がん検診の陽性、うつ…

後半の気持ちの落ち込み、無力感が1番きつかったかもしれない。

 

入院ももちろんきつかった。

でも、その時の手書きの日記を見返すと、自分でも怖くなるくらい、

悲しさよりも愛を感じ切っていたらしい。

赤ちゃんたちの力ってすごい。愛が溢れている方が勝っていたんだって。

今じゃ考えられない。

 

予定、期待、と外れて

妊娠中の自分で行くことができなかった帰省は、辛さもあったけど、それ以上に亡くなったおじいちゃまから受け取るものが多かったこと、主人のご家族ととてもいい時間を過ごせたこと、

実はこれは本当に良い記憶として残るものになった。

 

9月からはわたしが調子を崩すか、彼が調子を崩すか、両方が調子を崩すか、

そのどれかを交代交代で繰り返した。

これもすごく意味のある動きだったと思っている。

片方のケアはしっかりする、でもそれで片方が気を消耗してしまう。

私たちの間には充分な気が足りていなかったのは紛れもない事実で、それをどうにか補い合っては、使い果て、少し貯めては使い果て。その繰り返しだったのだ。

 

2人ともお互いを見てほしい的なメッセージがあったのかなと思う。

病気にでもならないとそれぞれを生き過ぎてしまう私たちの質も原因になっていたのかな。

病気や怪我にならなくても、お互いをきちんと見つめ合い、ケアし合える日々を送りたい。

夫婦として、いいバランスで、お互いの存在を必要としながら、補い合い、高めあい、これができたらいいんだな、とおもう。

 

 

感情の波はいろいろあったけれど、

去年だったら絶対に感じることのできなかった考えた方を

天からの声、メッセージを素直に聞き入れられるようになったことでできるようになり

救われることが本当に多くあった。    

 

 

思い返すと自分が辛い時期よりも

彼がつらい時期の方がつらかった。

それは優しさゆえの辛さではなくって(ごめん)

自分もこんなに大変なのに、なんでこんな時に!!という完全に余裕のないそれだった。

散々、毎年の暮れにシンプルに give できる人間になりたいなんて言っているけれど、やはりこの課題は今年も浮き彫りになった。

 

そのあたりで完全に消耗し切ってしまったんだ。

日々の中にすこーしずつの楽しいことはあるけれど、ほぼ限界に近いところまで心がすり減っていった。

救いの言葉をかけてくれる友達もいてくれて、

うれしかったけど、正直それさえも救いにはならなかった。

もう少し時期やタイミングがずれていたら、

いまのわたしは、というかわたし自身がもう存在するのをやめていたがしれない。

それくらい、つらい時期を送っていた。

 

 

どうやって乗り越えたかって

多分ゆっくりやすむ、しかなかった。

それでやっと少しのゆとりを感じられるようになり、

友達と会うことができるようになって、

急に元気を取り戻したのが12月の半ば。

踏ん張って、耐え抜いて、ここまでこられてよかった。

再び自分をほめよう。

 

今年は何につけても、

今は新月かな、とか、満月かなとか。

ー星の逆行が今日で終わるから明日からどうにかなる、とか

よく分かってもいない占星術を都合よく解釈したり

常に天の動きに耳を傾けていた。

 

それが逃げ、なのか、救いなのか、どの言葉が最適かはわからないけど

少しでも現実と一線おいたものに身を置くことで

心が軽くなる体感をたくさん得られた。

 

これが正解かはわからない、

でも自分の中で逃げ切る術を身につける、これは一個、できるようになった大きなひとつのことだった。

 

赤ちゃんを失い、天国に見送ったことは

自分と天国の距離をぎゅっとちぢめた。

自分の中でこんなに生と死を身近に感じたのは生きてて今年が1番だったし

天国の様子に思いを馳せるなんて今までしたことなんてなかった。

 

天国がどんな場所かも知らないし、あるかもわからない

そもそも赤ちゃんたちは天国に行けたのだろうか

わからないけれど、自分のなかでひとつ

やはりグリーフケアについて、自分のためにも

そしてそれ以上に世の中のためにもっと学びたいと思えたのも今年の一つの大きな収穫。

 

人の生と死という科学的なもの

天国という抽象的、精神的なもの

死後の世界をどう捉えるかという宗教的なもの

なにかに偏ることはせずに、

どれもバランスよく知って学んで、いつか何かに役立てて行けたらいいかな、なんてことを数ヶ月間ずっと考えている。

 

こうなったきっかけって

流産自体ももちろん大きいけど、みちこさんと出会えたこと、お話できた経験はとてつもなく大きかった。

流産後にセッションをうけて、たくさんの気づきを与えてもらった。(9月4週目の日記参照)

 

天からのメッセージってあやしいけど、

自分の心の奥の声、みたいなものも含んでいると思う。

今まで蓋をしてしまっていた感情なんかにしっかり向き合えるようになった。

自分で自分を括り付けている鎖を、可視化して、言語化して、すこーしずつほどいている/あるいはほどく準備ができるようになってきたと思う。

 

 

赤ちゃんがやってきたという人生最高、天にも昇る思いをした今年。

その天井から、流産でこどもを失うという一気にどん底に突き落とされる思いをしたのもまた今年。

 

これから先もずーっとこころのなかでのこりつづけて

いつでも悲しみや苦しみのトリガーになる。

でもそれは、

学ぶことがおおくておおくて、

わたしはこの経験ができてきっとよかった、これはうそではなく、

本当にこれができてよかったことなんだとおもう。

 

 

 

家族の在り方

仕事の仕方、

今後の生き方

いろんなものを自分自身に問い続ける1年だった。

いろんな変化がもたらしてくれた問いにしっかりと向き合い、苦しみ、いまの自分なりの答えをその度ごとに向き合って出してきた。

 

 

2024年はなにがどうなるか。

 

いつもは目標を決めてしまうけれど

 

2024年は、ふまじめであることに真面目に取り組みたいとおもう。

 

は?というかんじだけれど。

 

今年、いや人生を通してずっと真面目にいきてきた。

真面目というか、頭が硬いというか頑固というか。

自分で決めたことに囚われて、そこから何かを曲げたり、柔らかく臨機応変に動いたり、そんなことが全然できていなかった。

 

もっと気まぐれであってもいいのかな、

気の向くまま

心の底のこえがいうまま、

ふまじめとはちがうかもしれないけど、

自分自身のルールにとらわれずに

もっと自分を信じてあげて、愛してあげて、いうことをきいてあげたい!

 

自分で自分の限界やキャパシティを決めないで

たのしそう〜

やりたいな〜

会いたいな〜

行きたいな〜

こういう気持ちをだいいちにして。

 

ちょっといつもと違う年にしてみたいな、なんて思う。

 

いろいろまだまだ悩ましいのは変えられない現実。

 

仕事をしてて思うのは、

いまの仕事を始めた時に

自分にしかできない仕事だから楽しくて仕方ないと思っていた。自分だからこそ、という存在意義を確かに感じていた。

でもそれと裏腹に自分がいなかかってもいい体制を望んでいた。妊娠して仕事ができなくても安心できる環境。

でもそこには矛盾が生じる。

わたしはわたししかできない仕事をしたい、でも働けなくなったら安心して仕事をやすみたい、でもそれってわたしが本当に必要ならできないこと、だし、わたしがいなくて成り立つならわたしはいなくなってもいいのか〜という葛藤。矛盾。

 

ま、これってわがままなのよね。

今書いていておもった。わがままでいいじゃん!

普段は自分にしかできない仕事をしようっと。

そして、また子どもを授かれた時には、みんなに甘えてお休みさせてもらおう!

 

迷惑かけてしまうことがこわくてこわくて、ほんな今年だった。

でも散々迷惑かけたことには変わりない。

横柄だけれど、迷惑かけることに変わらないのなら

もう少し心をみんなに委ねて、

それでもいいのかな、なんてひやひやしつつも、書きながら、考えながら、思ってみた。

 

 

いつもは

仕事はこう、

家族はこう、

プライベートはこう、なんて目標の立て方をするけれど

 

2024年は、

どれも総合的に

自分の声をきいてみる!

からだを丁寧に扱って、大切にする、ねぎらう。

 

自分勝手にきこえるけれど、

だし自分勝手だけれど、

ちょっとだけ、自分を第一にすごしてみることをひとつのテーマにしてみようかしら。

(言いきるのはやはりむずかしい。)

 

 

でもそれは自分だけを大事にするというのと言いたいことは違くって。

 

家族の愛に感謝をして

働かせてもらえる場所に感謝をして

いつもたくさん支えてもらいながら一緒に働いている皆さまに恩を返せるように一生懸命働いて

ここまでいつも心の救いでいてくれたお友達や大切なひとたちに愛でたくさんのお返しをしたい。

ありきたりだけど、そうやって周りを大事にして

感謝をことばでも行動でも示して、

たくさんの笑顔をつくる、それがいちばん、自分にも還元されるのかなとおもう。

 

愛、感謝、祝福

これらを大事に大事に、

ひとつのこともないがしろにせずに。

 

 

自分自身を何かの優先順位やルールで縛り付けないで

 

その時に見える1番大切なことをじっくり見つめて。

 

 

バランスよく、まわりの声

じぶんの声、天の声、いろんなものに耳を傾けながら。

 

 

すっごく抽象的だけれど、

大事なものを忘れないで、目の前のことを大切にすすんでいく、そんな一年にしていきたい。

 

2024年は、なんでだろう、いい年になる気がするんだ!

毎年いい年だけれど、なんというか、

もっともっとハッピーに溢れた年になっていく気がする。

 

先月の続きだけど、

どん底落ちたらもう上がっていくしかないからね!

どん底にさえ学ぶものがたくさんあって必要なものだと思えている今だから

ここからどんなふうになっていくか、シンプルにたのしんでいきたい!そうしよう!

 

 

 

新幹線の移動中でなんだか少し心許ない、集中しきれていないけど、それもまたひとつの記録として。

 

また静かな心で書き残すべきことがあったら追記しようっと。

 

 

 

そうそう、26日はわたしの両親と過ごして

3日間働いて

28日は今年出会えたキッズと最後のレッスン(いい出会いだった、ありがとう♪)

29日に働き納めて、大切なお客様にお会いできてしみじみして。

 

そして今は関西に向かう新幹線。

ご家族とどんなふうに過ごせるかな。

どんなふうに今年を締め括れるかな。

 

 

終わりよければ全てよしをいえるように

 

心を清らかに

大切なものをしっかり見つめることはかえずに

残りの2日間、丁寧に丁寧にすごしていこう。

 

 

明るい未来がまっている!

 

きっとまたいろんなものを出会えるだろう2024ねん!

 

 

2023年、すべての経験に

近くにいてくれたみんなに大きな大きな感謝を。

 

降りてきてくれた3つの小さな魂に愛を込めて。

 

30.12 りさ

 

 

 

追記

 もう少しだけ書きたいことがあった。

 

「教える」「先生」という仕事について。

 

ちょうど今年で先生キャリア10周年を迎えることができた。

塾講師のバイトをスタート地点にすると、もう10年教える仕事を続けているようだ。

ブランクは少しあるけれど、こんなに自分がひとつの仕事を続けることができるなんて、素直にこれが好きなことなんだと少し誇らしく思う。

 

今年は自分の職業としての先生以外にも

教室、先生、生徒、そんなものに触れる経験を増やすことができた。

エイドリアンのビーガンクラスでアシスタントをしたのは、いつもなかなかできないコンフォートゾーンを一歩出てチャレンジ出来たことのひとつだった。

そして、あやかさんのスクールデイにモデルとして同席させてもらったときに、私もそこで学ぶことが本当に多くあった。

 

先生と生徒って、学生時代は上と下の構図につい当てはめてしまっていたけれど、平らかな関係性、お互いを思いやる関係性が生じている場でこそ、いい教育ができると改めて感じた。

たとえば先生は、自分の知識ベースで進むのではなく、生徒の現状の立ち位置を把握して、その視点に立って教える。

そうすると、学ぶ側はぐんとわかりやすく、そして意欲も掻き立てられる。

 

生徒側も、予習をしたり準備をしたり、自分なりにできる範囲で知識を増やしたりする。

そうすると、いっそう質の良い空間を生み出すことができる。

当たり前なんだけれど、お互いの歩み寄りの相乗効果はとっても大きいもの。

 

せわしない日々を過ごしていると、こんなあまり前のことも見えなくなってしまうから、年の瀬にこうやってじっくり振り返るのはやはり大事なことね。

 

 

そしてもう一つは、ドラマ「いちばんすきな花」

をみていろんなことを感じたここ3ヶ月。

 

ドラマを見ていて心が痛むほど共感することが多くあった。

とくに「みどちゃん」が現れてから、私にとってはとても見やすいドラマに変わっていった。

2人組が難しいだとか苦手だとかで集まった主人公4人だったけれど、私はまずここに共感ができなかった。

性格や生活の中での気づきは共感することも多くあったけど、ここだけ引っかかっていた。

私は昔から2人組でしか関係性を築けない。

 

3人なんて1番苦手で、4人になるとその中で2人組ができるから少し楽になる、そんなことを思ったりもしてきた。

 

相手ときちっと向かい合って話をしたい。

真面目は無しでもそうでなくても。

自分の話を100%きいてもらえる。

人の話を遮る/遮られることも、間をみて話始まるタイミングを選ぶ必要もない。

 

みどちゃんが4人の空間に誘われた時、どこか居心地が悪くて、

最終的にきちんと、ひとりひとりといるのがすき、というようなことをきちんと言っていたこと、これが私にとってはなんだか救いだった。

 

みんなが楽しいから、みんなが好きだからって全員心地よいわけではない。

それを口にして、居心地のいいものを選んだっていい。それをしれたことで心がとても楽になった。

 

 

と教えることから離れてしまったけれど

このドラマを見て毎度感じていたひとつのことは

「先生でありたい」ということ。

多分教えたいという感情ではなくて、

誰かにとって、安心して会える存在、いつもそこにいてくれる存在でありたいという気持ちからくるものだ。

 

学校が苦手で違和感を抱きながら通っていた日々を思い出すと心が苦しい。

でもその生活の中でも会いたい先生がいたり、

学校の外部に楽しいと思える塾という逃げ場があったり、

それがあるおかげで、なんとかあの時代を過ごせていたのだと思う。

 

学校が嫌いでもいい、学校に行かなくてもいい、

でもちょっと、話したい先生がいる

誰かのそんな人生に存在できたらなんで幸せなんだろう、とみどちゃんやゆくえちゃんを見ていて

だから先生続けているんだなとしみじみ感じるドラマだった。

 

(ちなみに1番泣いたのは、最終話のお相撲さんのニュースのシーン。ここで1番泣くんだ自分、とちょっと可笑しかった。でも実はみんなそう?

報われてよかったよー、でもどっちでもいいよね。)

 

 

 

現実にできるかどうかは置いておいて、

自分でお菓子を焼いて、学校から帰ってきた子どもたちがわーっとやってきて、

お菓子を食べてもらいながら、宿題をして、勉強して

そんな空間をつくりたいんだとおもう。

いまの1番はこれ。

 

これはもしかしたら家庭内での話かもしれないし、

お仕事としてやっていくものかもしれないし。

まだまだわからない。

 

でも自宅で塾をやっているシーンをみて、

感化されることがとても多かった。

 

 

まだまだ模索中。

でもやっぱりお菓子を焼いて、提供して、お客さんとお話をして

それにちょこっとプラス、こどもが勉強を楽しくできる場所を持ち続けること、これもやっぱり辞めたくないんだな、と気がつけた12月。

 

31.12 あさ コメダ珈琲にて