2023

 

毎年、漢字を選んでいる年の暮れ。

今年は「天」かなぁ

 

「問」も候補に上がったけれど。

 

 

今年はすごい年だった。

生きているなーと実感するような年だった。

 

 

さてどこから語ろうか。

 

今年の頭は百貨店の催事ではじまった。

春にはテレビの取材と撮影があり、お客さんの数が圧倒的に増えた。

1-4月までは仕事でとにかくいっぱいいっぱいだった。

 

でも疲れを麻痺して感じなくなるくらい、気持ちとしては楽しかった。

今と比べ物にならないほど、体力が蓄えられていて、どこまでも働けるなんて思っていたのかもしれない。

 

でもその裏では、こどもを授かりたい気持ち、引っ越しまでの頭の中のプランに間に合わない焦りが着々と心を蝕んでいっていた。

バレンタイン時期は毎日チョコレートケーキの切れ端を食べながら、これじゃだめだな、これだからだめだな、でも何も進まないからいいかな、なんてことを考えてばかりいた。

 

つらい気持ちを感じられないくらい、肉体的にタフな時期が続いていた。正直この頃の記憶はほとんど残っていない。

 

ゴールデンウィークにはいったころ、日本橋での暮らしの終焉を迎えるにあたって、思い出にただただ浸りまくっていた。

大好きな街を離れる寂しさ、不安、いろんな感情があったと思う。でもこれも記憶にほとんど残っていない。

 

5月の半ばに引っ越しをした。

今ではすっかり、わたしのいえというかたちで落ち着く場所になった。

きっとこれは最初の方からそうだった。

 

今まで引っ越しをしても、結局どこかで実家や新潟の前の家が1番落ち着くな、帰る場所だなと思っていたけれど、

今度の家はそれを超える。

 

空間も家具も場所も広さも全部が自分たちで選んだもので

とにかく心地がいい。

 

 

特に季節がいいときは、太陽の光がさして、カーテンをふわりと揺らしながら気持ちの良い風が吹く。

それを思い切り堪能できる庭があることもまた、幸せを作ってくれる大きな要因になっている。

 

今年引っ越したことを忘れるくらい、もうすっかり馴染んでしまっている、じぶんたちのいえ、だ。

 

そしてここからが2回の妊娠と流産。6-11月はほとんどこればかりに脳みそが、からだが、支配されていた。でも気がつくことがとにかくたくさんあった。

全て天から与えてもらった試練とメッセージだったのだ。

 

半年ほど全く前に進めていなかった妊活。

2人でひとつになって歩んでいくのよ、そうすれば進歩する、まずそれを教えてくれたのが初めての妊娠中のとき。

自分だけの気持ちが前に前に焦りに駆られていたときと、歩みをそろえて動き出したとき、明らかな違いがあった。

 

その時に初めて、あなたは妊娠できるのよと教えてもらうことができた。

 

結局それは数週間ももたなかったけれど、それを機に天国?なのか、目に見えない世界なのか、どこかからの声をたくさん受け取るようになった。

 

天からの声と捉えるのか、

視野が広がって新しい考えた方を持てるようになったのか、

どっちでもいいけれど、

自分の感覚としてはどんどんどんどん今まで持たなかった考え方が上から降ってくるようなイメージだった。

 

1度目の初期流産のあとは、自分にいろんなことを尋ねてみて、休みを増やす勇気をとった。

それは効果覿面で、生活にゆとりがうまれて

たまたま夏休みの時期もあり幼なじみに会う機会もたくさん作れて、自分の原点を見つめ直すような時間をたっぷりととることができた。

 

そうするとからだもこころも、本当に元気に回復した。

ふしぎだったけど、あ、次妊娠するなってわかる感覚があった。

これも天から受けていたメッセージだったのかな、それともただの直感が冴えていただけだったのか。

 

 

6月の時も、8月の時も、日記を見返すと

赤ちゃんだいすきだよ、まもっていくよと

この言葉、感情は常に抱いていた。

それがとってもとっても、幸せな感情だったことは今でもぼんやりと思い出すことができる。

そう、今までの人生では抱くことの一度もなかった、新しく、かつ最大級に愛に溢れたこころ。

愛と祝福で自分自身を満たすことができていた時期だった。

 

本当にしあわせにつつまれて最高の8月だった。

夏らしいこと、海に行ったり星を見たりキャンプをしたり山に行ったり、好きなことは何にもできなかったけど、そんなことしなくても、全然いい

守ること、その使命を与えられて愛をたっぷり感じた夏だった。

 

 

そのあと。

ここから11月の下旬までは、本当によく生き抜いたとおもう。

いまの自分なら、その頃の自分をほめてあげられる。本当にがんばったよ、じぶんよありがとう。

 

流産、入院、手術、ひきこもり。

そのあと回復して、関西訪問。

ここからしっかりエンジンをかけてしまい(ここが結構な過ちだった!)、

主人の骨折、手術、風邪、

カンピロバクター、うつ、主人の風邪、うつ、がん検診の陽性、うつ…

後半の気持ちの落ち込み、無力感が1番きつかったかもしれない。

 

入院ももちろんきつかった。

でも、その時の手書きの日記を見返すと、自分でも怖くなるくらい、

悲しさよりも愛を感じ切っていたらしい。

赤ちゃんたちの力ってすごい。愛が溢れている方が勝っていたんだって。

今じゃ考えられない。

 

予定、期待、と外れて

妊娠中の自分で行くことができなかった帰省は、辛さもあったけど、それ以上に亡くなったおじいちゃまから受け取るものが多かったこと、主人のご家族ととてもいい時間を過ごせたこと、

実はこれは本当に良い記憶として残るものになった。

 

9月からはわたしが調子を崩すか、彼が調子を崩すか、両方が調子を崩すか、

そのどれかを交代交代で繰り返した。

これもすごく意味のある動きだったと思っている。

片方のケアはしっかりする、でもそれで片方が気を消耗してしまう。

私たちの間には充分な気が足りていなかったのは紛れもない事実で、それをどうにか補い合っては、使い果て、少し貯めては使い果て。その繰り返しだったのだ。

 

2人ともお互いを見てほしい的なメッセージがあったのかなと思う。

病気にでもならないとそれぞれを生き過ぎてしまう私たちの質も原因になっていたのかな。

病気や怪我にならなくても、お互いをきちんと見つめ合い、ケアし合える日々を送りたい。

夫婦として、いいバランスで、お互いの存在を必要としながら、補い合い、高めあい、これができたらいいんだな、とおもう。

 

 

感情の波はいろいろあったけれど、

去年だったら絶対に感じることのできなかった考えた方を

天からの声、メッセージを素直に聞き入れられるようになったことでできるようになり

救われることが本当に多くあった。    

 

 

思い返すと自分が辛い時期よりも

彼がつらい時期の方がつらかった。

それは優しさゆえの辛さではなくって(ごめん)

自分もこんなに大変なのに、なんでこんな時に!!という完全に余裕のないそれだった。

散々、毎年の暮れにシンプルに give できる人間になりたいなんて言っているけれど、やはりこの課題は今年も浮き彫りになった。

 

そのあたりで完全に消耗し切ってしまったんだ。

日々の中にすこーしずつの楽しいことはあるけれど、ほぼ限界に近いところまで心がすり減っていった。

救いの言葉をかけてくれる友達もいてくれて、

うれしかったけど、正直それさえも救いにはならなかった。

もう少し時期やタイミングがずれていたら、

いまのわたしは、というかわたし自身がもう存在するのをやめていたがしれない。

それくらい、つらい時期を送っていた。

 

 

どうやって乗り越えたかって

多分ゆっくりやすむ、しかなかった。

それでやっと少しのゆとりを感じられるようになり、

友達と会うことができるようになって、

急に元気を取り戻したのが12月の半ば。

踏ん張って、耐え抜いて、ここまでこられてよかった。

再び自分をほめよう。

 

今年は何につけても、

今は新月かな、とか、満月かなとか。

ー星の逆行が今日で終わるから明日からどうにかなる、とか

よく分かってもいない占星術を都合よく解釈したり

常に天の動きに耳を傾けていた。

 

それが逃げ、なのか、救いなのか、どの言葉が最適かはわからないけど

少しでも現実と一線おいたものに身を置くことで

心が軽くなる体感をたくさん得られた。

 

これが正解かはわからない、

でも自分の中で逃げ切る術を身につける、これは一個、できるようになった大きなひとつのことだった。

 

赤ちゃんを失い、天国に見送ったことは

自分と天国の距離をぎゅっとちぢめた。

自分の中でこんなに生と死を身近に感じたのは生きてて今年が1番だったし

天国の様子に思いを馳せるなんて今までしたことなんてなかった。

 

天国がどんな場所かも知らないし、あるかもわからない

そもそも赤ちゃんたちは天国に行けたのだろうか

わからないけれど、自分のなかでひとつ

やはりグリーフケアについて、自分のためにも

そしてそれ以上に世の中のためにもっと学びたいと思えたのも今年の一つの大きな収穫。

 

人の生と死という科学的なもの

天国という抽象的、精神的なもの

死後の世界をどう捉えるかという宗教的なもの

なにかに偏ることはせずに、

どれもバランスよく知って学んで、いつか何かに役立てて行けたらいいかな、なんてことを数ヶ月間ずっと考えている。

 

こうなったきっかけって

流産自体ももちろん大きいけど、みちこさんと出会えたこと、お話できた経験はとてつもなく大きかった。

流産後にセッションをうけて、たくさんの気づきを与えてもらった。(9月4週目の日記参照)

 

天からのメッセージってあやしいけど、

自分の心の奥の声、みたいなものも含んでいると思う。

今まで蓋をしてしまっていた感情なんかにしっかり向き合えるようになった。

自分で自分を括り付けている鎖を、可視化して、言語化して、すこーしずつほどいている/あるいはほどく準備ができるようになってきたと思う。

 

 

赤ちゃんがやってきたという人生最高、天にも昇る思いをした今年。

その天井から、流産でこどもを失うという一気にどん底に突き落とされる思いをしたのもまた今年。

 

これから先もずーっとこころのなかでのこりつづけて

いつでも悲しみや苦しみのトリガーになる。

でもそれは、

学ぶことがおおくておおくて、

わたしはこの経験ができてきっとよかった、これはうそではなく、

本当にこれができてよかったことなんだとおもう。

 

 

 

家族の在り方

仕事の仕方、

今後の生き方

いろんなものを自分自身に問い続ける1年だった。

いろんな変化がもたらしてくれた問いにしっかりと向き合い、苦しみ、いまの自分なりの答えをその度ごとに向き合って出してきた。

 

 

2024年はなにがどうなるか。

 

いつもは目標を決めてしまうけれど

 

2024年は、ふまじめであることに真面目に取り組みたいとおもう。

 

は?というかんじだけれど。

 

今年、いや人生を通してずっと真面目にいきてきた。

真面目というか、頭が硬いというか頑固というか。

自分で決めたことに囚われて、そこから何かを曲げたり、柔らかく臨機応変に動いたり、そんなことが全然できていなかった。

 

もっと気まぐれであってもいいのかな、

気の向くまま

心の底のこえがいうまま、

ふまじめとはちがうかもしれないけど、

自分自身のルールにとらわれずに

もっと自分を信じてあげて、愛してあげて、いうことをきいてあげたい!

 

自分で自分の限界やキャパシティを決めないで

たのしそう〜

やりたいな〜

会いたいな〜

行きたいな〜

こういう気持ちをだいいちにして。

 

ちょっといつもと違う年にしてみたいな、なんて思う。

 

いろいろまだまだ悩ましいのは変えられない現実。

 

仕事をしてて思うのは、

いまの仕事を始めた時に

自分にしかできない仕事だから楽しくて仕方ないと思っていた。自分だからこそ、という存在意義を確かに感じていた。

でもそれと裏腹に自分がいなかかってもいい体制を望んでいた。妊娠して仕事ができなくても安心できる環境。

でもそこには矛盾が生じる。

わたしはわたししかできない仕事をしたい、でも働けなくなったら安心して仕事をやすみたい、でもそれってわたしが本当に必要ならできないこと、だし、わたしがいなくて成り立つならわたしはいなくなってもいいのか〜という葛藤。矛盾。

 

ま、これってわがままなのよね。

今書いていておもった。わがままでいいじゃん!

普段は自分にしかできない仕事をしようっと。

そして、また子どもを授かれた時には、みんなに甘えてお休みさせてもらおう!

 

迷惑かけてしまうことがこわくてこわくて、ほんな今年だった。

でも散々迷惑かけたことには変わりない。

横柄だけれど、迷惑かけることに変わらないのなら

もう少し心をみんなに委ねて、

それでもいいのかな、なんてひやひやしつつも、書きながら、考えながら、思ってみた。

 

 

いつもは

仕事はこう、

家族はこう、

プライベートはこう、なんて目標の立て方をするけれど

 

2024年は、

どれも総合的に

自分の声をきいてみる!

からだを丁寧に扱って、大切にする、ねぎらう。

 

自分勝手にきこえるけれど、

だし自分勝手だけれど、

ちょっとだけ、自分を第一にすごしてみることをひとつのテーマにしてみようかしら。

(言いきるのはやはりむずかしい。)

 

 

でもそれは自分だけを大事にするというのと言いたいことは違くって。

 

家族の愛に感謝をして

働かせてもらえる場所に感謝をして

いつもたくさん支えてもらいながら一緒に働いている皆さまに恩を返せるように一生懸命働いて

ここまでいつも心の救いでいてくれたお友達や大切なひとたちに愛でたくさんのお返しをしたい。

ありきたりだけど、そうやって周りを大事にして

感謝をことばでも行動でも示して、

たくさんの笑顔をつくる、それがいちばん、自分にも還元されるのかなとおもう。

 

愛、感謝、祝福

これらを大事に大事に、

ひとつのこともないがしろにせずに。

 

 

自分自身を何かの優先順位やルールで縛り付けないで

 

その時に見える1番大切なことをじっくり見つめて。

 

 

バランスよく、まわりの声

じぶんの声、天の声、いろんなものに耳を傾けながら。

 

 

すっごく抽象的だけれど、

大事なものを忘れないで、目の前のことを大切にすすんでいく、そんな一年にしていきたい。

 

2024年は、なんでだろう、いい年になる気がするんだ!

毎年いい年だけれど、なんというか、

もっともっとハッピーに溢れた年になっていく気がする。

 

先月の続きだけど、

どん底落ちたらもう上がっていくしかないからね!

どん底にさえ学ぶものがたくさんあって必要なものだと思えている今だから

ここからどんなふうになっていくか、シンプルにたのしんでいきたい!そうしよう!

 

 

 

新幹線の移動中でなんだか少し心許ない、集中しきれていないけど、それもまたひとつの記録として。

 

また静かな心で書き残すべきことがあったら追記しようっと。

 

 

 

そうそう、26日はわたしの両親と過ごして

3日間働いて

28日は今年出会えたキッズと最後のレッスン(いい出会いだった、ありがとう♪)

29日に働き納めて、大切なお客様にお会いできてしみじみして。

 

そして今は関西に向かう新幹線。

ご家族とどんなふうに過ごせるかな。

どんなふうに今年を締め括れるかな。

 

 

終わりよければ全てよしをいえるように

 

心を清らかに

大切なものをしっかり見つめることはかえずに

残りの2日間、丁寧に丁寧にすごしていこう。

 

 

明るい未来がまっている!

 

きっとまたいろんなものを出会えるだろう2024ねん!

 

 

2023年、すべての経験に

近くにいてくれたみんなに大きな大きな感謝を。

 

降りてきてくれた3つの小さな魂に愛を込めて。

 

30.12 りさ

 

 

 

追記

 もう少しだけ書きたいことがあった。

 

「教える」「先生」という仕事について。

 

ちょうど今年で先生キャリア10周年を迎えることができた。

塾講師のバイトをスタート地点にすると、もう10年教える仕事を続けているようだ。

ブランクは少しあるけれど、こんなに自分がひとつの仕事を続けることができるなんて、素直にこれが好きなことなんだと少し誇らしく思う。

 

今年は自分の職業としての先生以外にも

教室、先生、生徒、そんなものに触れる経験を増やすことができた。

エイドリアンのビーガンクラスでアシスタントをしたのは、いつもなかなかできないコンフォートゾーンを一歩出てチャレンジ出来たことのひとつだった。

そして、あやかさんのスクールデイにモデルとして同席させてもらったときに、私もそこで学ぶことが本当に多くあった。

 

先生と生徒って、学生時代は上と下の構図につい当てはめてしまっていたけれど、平らかな関係性、お互いを思いやる関係性が生じている場でこそ、いい教育ができると改めて感じた。

たとえば先生は、自分の知識ベースで進むのではなく、生徒の現状の立ち位置を把握して、その視点に立って教える。

そうすると、学ぶ側はぐんとわかりやすく、そして意欲も掻き立てられる。

 

生徒側も、予習をしたり準備をしたり、自分なりにできる範囲で知識を増やしたりする。

そうすると、いっそう質の良い空間を生み出すことができる。

当たり前なんだけれど、お互いの歩み寄りの相乗効果はとっても大きいもの。

 

せわしない日々を過ごしていると、こんなあまり前のことも見えなくなってしまうから、年の瀬にこうやってじっくり振り返るのはやはり大事なことね。

 

 

そしてもう一つは、ドラマ「いちばんすきな花」

をみていろんなことを感じたここ3ヶ月。

 

ドラマを見ていて心が痛むほど共感することが多くあった。

とくに「みどちゃん」が現れてから、私にとってはとても見やすいドラマに変わっていった。

2人組が難しいだとか苦手だとかで集まった主人公4人だったけれど、私はまずここに共感ができなかった。

性格や生活の中での気づきは共感することも多くあったけど、ここだけ引っかかっていた。

私は昔から2人組でしか関係性を築けない。

 

3人なんて1番苦手で、4人になるとその中で2人組ができるから少し楽になる、そんなことを思ったりもしてきた。

 

相手ときちっと向かい合って話をしたい。

真面目は無しでもそうでなくても。

自分の話を100%きいてもらえる。

人の話を遮る/遮られることも、間をみて話始まるタイミングを選ぶ必要もない。

 

みどちゃんが4人の空間に誘われた時、どこか居心地が悪くて、

最終的にきちんと、ひとりひとりといるのがすき、というようなことをきちんと言っていたこと、これが私にとってはなんだか救いだった。

 

みんなが楽しいから、みんなが好きだからって全員心地よいわけではない。

それを口にして、居心地のいいものを選んだっていい。それをしれたことで心がとても楽になった。

 

 

と教えることから離れてしまったけれど

このドラマを見て毎度感じていたひとつのことは

「先生でありたい」ということ。

多分教えたいという感情ではなくて、

誰かにとって、安心して会える存在、いつもそこにいてくれる存在でありたいという気持ちからくるものだ。

 

学校が苦手で違和感を抱きながら通っていた日々を思い出すと心が苦しい。

でもその生活の中でも会いたい先生がいたり、

学校の外部に楽しいと思える塾という逃げ場があったり、

それがあるおかげで、なんとかあの時代を過ごせていたのだと思う。

 

学校が嫌いでもいい、学校に行かなくてもいい、

でもちょっと、話したい先生がいる

誰かのそんな人生に存在できたらなんで幸せなんだろう、とみどちゃんやゆくえちゃんを見ていて

だから先生続けているんだなとしみじみ感じるドラマだった。

 

(ちなみに1番泣いたのは、最終話のお相撲さんのニュースのシーン。ここで1番泣くんだ自分、とちょっと可笑しかった。でも実はみんなそう?

報われてよかったよー、でもどっちでもいいよね。)

 

 

 

現実にできるかどうかは置いておいて、

自分でお菓子を焼いて、学校から帰ってきた子どもたちがわーっとやってきて、

お菓子を食べてもらいながら、宿題をして、勉強して

そんな空間をつくりたいんだとおもう。

いまの1番はこれ。

 

これはもしかしたら家庭内での話かもしれないし、

お仕事としてやっていくものかもしれないし。

まだまだわからない。

 

でも自宅で塾をやっているシーンをみて、

感化されることがとても多かった。

 

 

まだまだ模索中。

でもやっぱりお菓子を焼いて、提供して、お客さんとお話をして

それにちょこっとプラス、こどもが勉強を楽しくできる場所を持ち続けること、これもやっぱり辞めたくないんだな、と気がつけた12月。

 

31.12 あさ コメダ珈琲にて

 

52

 

 

最後の火曜日

太陽が眩しすぎて目を擦るような日。

 

朝起きて、洗濯物をして、冷蔵庫の掃除、庭の掃き掃除、クリスマスの片付け、お正月飾りの準備、掃除用具の買い出し、換気扇掃除、アイロンがけ、、、

合間にお風呂を挟んで。

本を読みながら、ヌガーとキームンをいただいて楽しんだ朝風呂。

 

控えめに言っても最高の午前だった。

 

休日らしい。

すがすがしい。

 

 

今こうして良い火曜日を迎えられているのは、この1週間も楽しく過ごせたからだ。

 

水曜日は記憶なし、木曜日はあまり覚えてないけれど、のんびりと夜を過ごせたような気はする。

金曜日は主人の誕生日だ。そして冬至の日でもあった。

今年の誕生日は冬至も誕生日もどちらも兼ね備えたディナーを用意したくて、

レッスンもあって限られた時間の中でぱぱっぱっとなんとか間に合わせることができた。

贈り物はリクエストをくれていたパジャマ。

 

ごはんも、プレゼントも喜んでもらえてよかった。

先週までいろいろな感情を抱いていたから、あんまり心をこめまくったーー!というようなことはできなかったけど、

今の自分の中での最適解というか、

今の自分にできる限りのこと、したい限りのことはできたし、

こうやって隣にいてくれることへの感謝の気持ちもじわっとわいてきて

うん、ここまでこられてよかったな、と思える感じ。なんともつたわりづらいけど、未来の自分にはこの時の気持ちが読み返した時にわかってもらえればそれでよい。

 

そして次の土曜はイギリスお土産、贈り物とよもぎ蒸し。

よもぎ蒸しはそういえば今年の出会いだったのか。

もうすっかり自分の生活習慣に馴染んでいるけれど、少し間が空いていくとやはり身体がとてもほっとする、ゆるむ。

土曜に行った時も、ほぉーっと心のそこから息をつくことができた。

 

自分1人だけになれる空間。

けいたいを手放して本に集中できる空間。

子宮や体のためにもちろんだけど、心のためにも必須な時間なのだ。

 

そして日曜はクリスマスイヴ。

以前は日記に、印象に残ったお客様の言葉や接客のやりとりを時々残していたけれど、そういえばここのところは一切そういうことをしていなかった。

 

クリスマスの日は久しぶりに記録に残したくなるような1日を過ごせた。

朝一はカップルがたくさん。

お昼間は、香川からいらした2人組が涙が出そうなお顔をしてくださるほど感激してくれていて、その姿を見てこちらも泣きそうになってしまった。

ああ、こうして喜んでもらえるのが楽しいから、サービスのお仕事をしていられるのだなと。

年の瀬に、久しぶりに初心に帰れたような気がした。

 

そしてえりこさんとの今年最後の出勤日でもあった。

今年は本当に彼女の存在が大きかった。

私も迷惑をかけてしまった側だけど、

今年彼女がいなければ、本当に乗り越えることができなかったのだ。

ふたりで、ほんとうに大変な年だった。、

それを振り返ると、涙が出てきた。

いつかひとりで仕事をしたいと思っているけど、こういう時に仲間のいる大切さを強く実感したりする。

 

 

そして土日の夜ともに、主人が夕飯を用意してくれた。

クリスマスだからと腕によりをかけてくれたのだけれど、

私はどうしても、そのかかってしまう時間や手際にいらいらとしてしまい

嬉しく思うべきはずのことをそう受け入れられなくて、それがとても辛かった…

 

気持ちを込めてくれていることに、あの態度はひどかったなと猛省する。

でも同時に、彼にもわかってほしいこと、しているべきこと、を伝えることができたし、

きっと今後変わっていってくれるのかなとおもう。

 

彼にだけではなく、自分にもかわるべきところがたくさんある。

まずはやってくれたことへの感謝をしっかりとしないといけないね。

そういう気持ちを忘れないようにしたいね。

 

ちょっと苦い思い出だけど、これも一つの過程で、私たち家族が味わって、越えてゆくべきこと。

 

 

 

クリスマスイヴの夜はツリーの前でプレゼント交換をした。

嬉しい贈り物だった。わたしのことを考えてくれたんだろうな〜と思えるようなビンテージの可愛いバッグ、一輪挿し、鳥さんのバッジ。

 

そして、1番思い出に残ったのは赤ちゃんへのプレゼント。

 

先週月曜日にジェラピケでみたエルモの赤ちゃんソックスが忘れられなくて、そんなときにいつもインスタを見ている同じ時期にベイビーロスをした人の投稿を見た。

「クリスマスツリーに赤ちゃんのものを置くと、次のクリスマスの時には赤ちゃんと一緒に過ごすことができる」そんなジンクスを投稿していた。

 

これを見て、主人に提案をした。

未来の赤ちゃんのために、プレゼントをひとつずつ用意しない?と。

 

そして迎えたクリスマスイヴ。

 

お店の袋を見て一瞬で分かった。

私たち、同じものを買っている。

まーーったく、おなじもの。

 

こんなことあるんだな、と驚いた。

 

ジェラピケのエルモのベビーソックス。

四つ並んでいる姿がたまらなくかわいい。

赤ちゃんのグッズがごまんとある世界で同じものを買ってしまうわたしたち。

双子の親になる運命だったんだなと感じてしまうとても不思議な体験だった。

双子の親になるべくして生まれてきたのが、わたしたちふたりなのかもしれない。

プレゼントを開く動画を録ってみたけれど、その時の2人の顔がとても優しかった。

それを見返すと、自分の動画だからおかしいけど、何度でも涙が出てしまう。

 

今までは過去に縋って辛い涙だったけど

前を向いていきたいなと、やっとようやく思い始められる、そんな気持ちになれる動画だった。

 

 

このプレゼント交換があったことで記憶に強く残るクリスマスになった。

 

 

 

月曜は家でのんびり掃除をすすめて(ちなとあう話をしていたけど2人とも体調が微妙で。ゆっくりしようって言ってくれたのがうれしかった!)

午後には今年最後の挨拶にいつもの神社へいった。

日差しが温かく、やはり心がとても安らいだ。

そこからあの駅まで歩いた。あのルート。

胸が苦しくなるくらい、色々な感情に襲われたあの数年間、そして思い出して暮らしてきたこの数年間。

でもそれをひとつ乗り越えたこの12月。

だからこそ歩けたあの道。

もう戻れない、もう戻らない、戻らなくていい、進んでいきたいとやっと思えた。

 

あの道を歩いてやっとここまでの気持ち、道を整理できたような気がする。

 

クリスマスの日に小一時間キッズと英語のレッスンをして、そのあとは一年で1番最後の特別な夕ごはん。

 

目を瞑って味わう

 

これがいかに贅沢で幸せなことか…

 

普段は時間もないとそんなことができないし、

そこまで味わえるほどのものを食べていないこともある。

 

時間をとって、

食べることだけ、それだけに集中して、

素材の味を活かした繊細な味付けを堪能して…

 

そんな時間がとてもしあわせだった。

 

とても贅沢なお店だけれど

結婚記念日と年末にいくことが恒例になっているお店。

 

いつも初心に帰らせてくれるとても思い入れのあるところ。

 

またここへきて、

目をつむりながらひとつひとつの味を噛み締められる日を過ごせるよう、

来年もひとつ一つを丁寧に過ごしていきたい、と年の瀬らしいことをおもう。

 

 

さ、これから実家に主人がくる。

パパとも久しぶりだ〜

みんなで楽しく過ごせますように

 

 

 

 

 

51

 

 

2023年うしろから2番目の火曜日。

 

体調もみるみる良くなっていって、冬至までのあと一踏ん張り・・・と

体も心もなんとか頑張ってくれている。

 

土曜日は、とても思い出深い日になった。

大学の頃の友人とご飯に行った。

 

大学の頃の友人なんて書いてしまったけど、

それは肩書きで、

それ以上の大切な友人だ。

 

いろんな感情を抱いた。

 

ただただ懐かしくて

楽しくて

これが明日も来るのが当たり前だったあの頃が恋しくて仕方なくて

その頃の自分が羨ましくてたまらなかった。

とにかく楽しかったのだ。

 

苦しくてたまらない時期もあったはずだ。

 

でも、

お互いをお互いで縛り付ける制約がなくなると

こんなにも純粋に「楽しい」という感情を味わえるんだと

あの頃の私に伝えたい。

 

とにかく、楽しかったのだ。

 

だから、馬鹿みたいなことを考えたりもした。

こんなに楽しいなら、過去を取り戻すことだってできるんじゃないのって、

ほんの2秒くらい。

 

でも3秒後に理性が戻ってくると、

それができないことをわかっていたから、

私たちはああいう選択を取ったのだ。

 

うん、それを一つずつ開いて想い出してゆくと

やっぱり苦い想い出だ。冷静になる。

 

 

たとえば

私が子どもを産んで育てることに興味がなかったら

時間の制約がなかったから、一緒の生活を取り戻せるのをまったりしたのかな。

 

でもわたしは、結婚をして、子どもを産んで、育てて、自分の場所を持って、

自分のつくりたい空間をつくりたかった。

だから、

待つことやリスクを冒すことを選べなかった、選ばなかった。

 

こうやってほんの2秒くらいの後悔に駆られるたびに、

彼とのさよならを、意味のないものにしたくないんだ、と思った。

意味あるものにしたい、というのも変だけれど、

 

彼と離れて拓いていった未来だったからこそ

ここまでの道のりがあって、今がある。愛と家庭がある。

 

 

美しき楽しき大学時代に心から感謝をした。

 

中高までは集団生活の楽しみ方がわからなくていつも浮いているような気がしていた。

大学に入ると、

輪に馴染む必要性なんてないことに気がついて

それくらいばらばらでとんでもない人間たちと過ごす毎日が

とてつもなく楽しくて、貴重で、ありがたかった。

あの時間があったからこそ、自分の道を堂々と歩んでいけるようになったのだと思う。

そんな仲間に出会えたあの頃。

またこれからも、みんなで時々会いたい、

あの日常に戻れたら、とも思ってしまうけれど、

それはきっとまた、違うんだろうなってこともわかっている。

 

ありがとうで埋め尽くされている心。

とにかく、ありがとう

楽しい時間と

あまりにもきらめき過ぎていた青春の時間に。

 

 

 

 

日曜日は、間借りする予定のカフェに足を運んだ。

素敵なご縁、素敵なお姉様たちがお話をしてくださり、お店の中もじっくり見せてくれた。

そのおかげで月曜日にスイッチが入り

助っ人を依頼したり、具体的な案がどんどん湧いていった。

 

今日、この火曜日は一粒万倍日で大安の日。

最近こういうのを特に気にするようになっているなあ

この日に情報リリースをどうにかしたくて、

そこに照準を当てていたおかげで、作業も無事に進んで

どんどんイメージも湧き始めている。

 

肝心なのは、どれくらいの人たちが実際に足を運んでくれるかどうかだけど・・・

 

 

 

月曜日、お休みの日その1は

洗濯を3回回して、図書館に行って、お散歩して、お昼を外で食べて

ここまではのーんびりの休日でとても良かった。

こんな休日をいつも過ごせたらいいなあ〜という感じの理想の休日。

午後は、また新たな問題のために初めての大きな病院へ。

受付の方のはきはきっぷりがとても好感をもてた。

大規模で、お年寄りの方も多くて大変だろうけど

軽快に、無駄なく、わかりやすく仕事を進めている姿は

学びたいものがたくさんあった。(サービス業の職業病)

 

婦人科の受付も優しい。

 

ただここからが問題だった。

1時間ほど、一切呼ばれない・・・・。

わかってはいたけど、1時間長い。

待ち時間が実はとても辛かった。

椅子についてしょっぱな、

初めての病院ということ、蛍光灯の灯り、これからの検査や病状の不安。。

久しぶりのパニックアタックを起こしそうになった。

横になりたかった。

軽いものだったから、どうにか抑えて普通でいられたけれど

次回、今回のことが引き金になったりしないか少し不安にもなる。

 

ようやく1時間30分ほど経って呼ばれた。

先生はとても物腰柔らかく、親切な方。

とても好印象だった。

穏やかに話す先生。

辛い数ヶ月にも寄り添ってくれる先生。

 

高度医療、総合病院、ここ数ヶ月、そういうものを身近にするけれど

やっぱり人柄も含めて、技術やらなんやらレベルが高いんだなと感心する。

 

昔は病院が嫌いだったけれど(病院の先生が。)

ここ最近お世話になっている先生は皆さん温かくて、尊敬できて、

素晴らしい先生ばかり。

 

やっとのことで診察が終わり、病院を出ると

晴れていたはずの空がすっかり影って

夕方の色になっていた。

 

少し悲しかった。

 

天気も良くて、のんびり気持ちのいい午前中だったから。

 

午後の時間の使い方は果たしてこれで良かったのか、と。

少し寂しく感じたりした。

 

 

 

翌日火曜は

思いっきり買い物するぞと決めていた日。

主人の誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、

自分自身への靴のプレゼント。

 

靴を買うってやっぱり特別。

ぼろぼろだったものを卒業して

新しい方向に進んでいく、まさにそれを体現してくれそうなもの。

今年頑張って良かった、な臨時収入で心ゆくまでショッピングを楽しんだ。

 

その後はことみ先生の整体を受けた。

整う整う。

特に彼女とはお話しそのものが楽しくて心地が良い。

 

ここに通い始めた当初、担当さんが違くて

聞こえてくるお声が超ハイテンションで

わたしは少し泡なさそうかな、なんて思っていたけれど、

実は実は、わたしの中ではとっても気が合うというか

心地よく話せて、楽しいが爆発する、とまらなくなる!!!!!

今年出会えて本当に良かったと思える先生のうちの一人。

 

そしてそして休日締めくくりは映画 what's love got to do with it

久しぶりの映画館。

映画全体としてはあまりいい評価ができないのが個人的感想だけど

心に刺さる言葉やシーンはいくつもあった。

子ども、家族、が増えていくということ、そんなことも頭の中で考えていた。

 

病院で採血も夕方に終えて

病院納め。

 

感無量。

 

 

本当に今年は頑張った。

 

いつもの看護師さんにも少しお顔を合わせられて

 

彼女なしでは2回目の流産告知の後のメンタルを保てなかった。

たくさん守って、優しくしてくれた方、

会うといつも泣きそうな気持ちになる、大好きな方、

 

 

いろんな気持ちが前向きになっていて

 

いつか赤ちゃんがお腹の中で順調に育ってくれたら

ここの方達はみんな喜んでくれそうだなと考えたり

 

わたし自身も、赤ちゃんがいる未来をまた考え直すことができるようになったり

 

陽に少しずつ向かっている。

 

 

 

今は辛くても、後すこーしの辛抱。

 

もうすぐ良くなる気がしていて、嬉しいよ。生きていきたいと思えるところまできたよ。

 

 

 

明日からの5日間は

もしかしたら人生最後誰かのために5連勤をする日。

 

本当に 一踏ん張り。一踏ん張り。

 

頑張ろう

50

 

 

病院にて

Shape of you がかかっている

この曲すきじゃないのよね。

 

そんなことはさておき。

めきめきと元気が出てきた1週間だった。

 

大したことはしていないけれど

大したことをしなかったから、気持ちと時間とに少しずつゆとりをみつけられて

ふぅっと良いため息をつけることが増えてきた。

 

4日間一粒万倍日がつづくという縁起のいい日があったらしく、

今週は行動を起こさなきゃーという気持ちに駆られていた。

ただそれは焦り、迫りという悪いものではなく

久しぶりに自分の中では明るいエネルギーが発生していた感覚だった。

 

(あ、でも水曜の朝はきもちがぼろぼろだったんだった。わすれていた。

がんかも疑惑、不育症の未来への不安もろもろ。)

 

でもこれは本当にいまくよくよしていても仕方のなさすぎることで…

 

大丈夫!というよりは一度目を背けて、何事もなかったかのように過ごすモードに自然と切り替えていたのだと思う。

 

 

 

ただ、日々を振り返ると少しきつい日もあったな

自分がきついというより、同僚の重荷を一緒に感じ取ってしまって、

涙がただ流れるばかりだった。

彼女とわたしは今年、正直本当に大変だった。

 

いろんな重荷をどさっと2人で被った。

それが私たちにとっての愛であり責任だったから。

 

でも共通して2人とも、子宮まわりに症状が現れた。

人間ってこういうふうにできているんだな、と。

 

負うものはそれぞれあれど、

やはり彼女の日常の全てのバランスを考えると

あまりにも荷が重すぎて…

自分も何かできたらいいけど、

でも今の自分は人のために何かができるほどの余力はない。それがまた心苦しい。

それに私たち同士で散々補い合ってきたけれど、それじゃあそろそろ破綻する。

お互いきっとそれをどこかわかっている。

 

つらいね。

つらいけど、彼女がいてくれることが、

今のわたしにとっての行動の源になっている。

ありがたい存在だ。

 

 

 

こんなことを考えて泣きながら職場に向かう日もあったっけ。

つまりは、大して晴れやかな毎日を送っていたわけでもなかったのだ。

 

でも、

契約や事始めには最適の一粒万倍日。

 

イギリスで乗る電車のチケットをとった。

 

そして2月のイベントの場所を借りた!

 

すこーしだけど行動できた。

 

 

これができたこと自体が、自信になった。

その翌日から元気になった、と感じ始めたのだ。

 

真っ暗だった世界の受容の仕方がかわった。

きれいとか

あかるいなとか

そういうことを思いながら、道を歩けるようになった。

 

 

日曜には久しぶりのさいこちゃんに会って

やっぱりこの人のつよさ、あかるさはすごいとつくづく圧倒された。

いい意味でね。

 

本当に、あかるい。

 

本心ですか?って疑いをいれるくらい。

 

でも無理せずわたしはわたしの今の暗さで

自分のことをさらけ出して話すことができた。

 

どうかな、と思いつつも

そんなわたしのことを受け入れてくれて。

りさもこういうふうになるんだね!って

ほんとうにまるっと受け入れてくれた。

 

うまく言葉にできないけど、救われる時間だったのは確かだ。

 

帰宅すると久しぶりにたこさんが夕食をつくってくれていた。いつぶりだろう。

それが嬉しくてたまらなかった。

 

気持ちももちろん嬉しいんだけど、

本当に、シンプルに、

らくーー。とかんじた。

ただそれだけが、こんなにありがたいことなんだと気がつく。

 

今は彼のけががあるから頼りづらいけど

けががなおったら、やっぱりもう少し、こうやって頼らせてもらったら

生活が少し変わるのかなとおもった。

 

 

お休みの日はのんびり時間をかけて掃除して

救急でお世話になった病院へ精算にいった。

母子周産期センターもある高度医療に特化した病院で少しテンションが上がる。

けれど、待合にたどり着いた瞬間に

ふたごのバギー。

そのお母さんと、そのお母さんも付き添っていた。

 

ほそーい泣き声。

 

かわいい、

くるしい、つらい。

 

 

わたしのふたごちゃんはどこへ…こればかりをやはり思ってしまう。

 

すーっと涙を流す程度の「泣き」は、もう「泣いている」にカウントできないなっていうくらい

毎日1回くらいはこうして涙を流している。

 

不育症がわかってからは毎度

薬飲んでいたら産めていたのかなという後悔もつきまとう。

 

(↑でもこれは月曜の感情で今はそのたらればをあまり思っていない。)

 

 

 

すーっとないたあとは、意外と爽やかな気持ちで帰宅して、横浜へお出かけ!

ニューグランド!赤れんが!しかもるっちょと♫

楽しいことをするぞーっていう休日がものすごく久しぶりだった。

 

楽しくて仕方なかった。

 

会う前からわたしの不調やグレーモードになっているのはわかってくれていたので、

なんでも聞くからね!と言ってくれていて(ありがとう…)

 

私たちにとってはこういうことが珍しい。

 

もちろんつらい話もしてきたけれど

圧倒的に楽しい話をけらけら笑ってきたことがおおかったから。

 

でも、

悲しい話も辛い話も、なんの違和感もなく話すことができた。

そしてたくさんの温かい言葉をかけてくれた。

だし、もしその言葉がなかったとしても

こうやって話を聞いてもらえるだけでここまでの心地よさを感じられる友達って本当に稀少で、

それをしみじみと痛感させられた。

 

友情に期間は関係ないと思いつつ

やはり長い歴史のある友達はそれだけでも価値があるものなんだと実感した。

 

考えてみればるっちょも今年はいろいろなハードシップを乗り越えて、あるいはそれと共に進み続けていた。

年々こうやって色々な経験をして

お互い境遇は違えど

痛みや苦痛がわかると

人に寄り添えるやさしさが増していくんだろうなと

当たり前だけれど大切なことを教えてもらえた気がする。

 

経験が違くたって、励まし合うことができるこのこころづよさよ。

 

 

夕方の赤れんがもとっても綺麗で

もう今年のクリスマスは思い残すことなし!くらいの充実した1日だった。

 

 

 

夜はのんびりリビングで過ごした。こんなのいつぶり!とてもここちがよい

おそめにおふろにはいって、本を読んで眠る、お風呂でこれができる喜び…

 

 

火曜日もゆっくり起きて(6:18 おそくない笑)

洗濯をして鉄観音茶をいただく。

ゆっくりアイロンをかける。

これこれ〜過ごしたかった休日の朝だ。

 

準備を終えて、実家へ帰る。母とゆっくり話をした。

何もしなかったけど、たのしくてこころがゆるんだ。ありがたい。

それだけのいちにち。

 

 

イギリスに行くために大きなスーツケースも持ってきた。

 

そして、病院にきた、いま。

 

子宮頸がん結果はどうかな、

このあとのいろいろ、どうなるかな、

また採血か。

 

いろいろあるよね、人生。

 

でも今は心が明るい。

 

さっきマタニティマークをつけた人が横を通ったけど、

なぜかテンションがあがった。初めてだった。

 

 

マインドが少しずつ変わってきている。整ってきている。

 

49

 

 

12月なんだって。

 

先週は精神的にも肉体的にもどん底

自分でも、自分がどうなってしまうのかわからないくらいの状態だった。

 

へろへろ体力は少しずつ持ち直し、

早朝の腹下し以外は(これで起きるから寝不足つらかった)

大体お腹の調子も整ってきた。

いや、実はまだ固形の便(笑)はかれこれ2週間出ていないんだけどね。普通にやばいな。

 

でも、体調が少しずつ良くなってきたことで

気持ちも少しずつ前向きに持てるようになった。

 

どん底から、「あ、上がっていくしかないな」っていう感覚。

上向きにしかなれないくらい、底辺にいたことを痛感した。

 

 

日曜夜は久しぶりに小一時間だけど、出かけた。

心がまっすぐで、尊敬してやまない大好きな人のイベント。

主人を通して出会った人だけれど、初めてゆっくり話した時に

なんて素敵な人なんだろう、

どこまで少年の心を持った人なんだろう、とすぐに心惹かれ・・・。

おかしいけれど、出会う順番が逆だったら一緒にいることを望んでしまっていたかもしれない

それくらい、素敵で憧れの人。

会うのは確か3年近くぶり。

 

でもやっぱりあのきらめきは健在で。むしろ伸びていて。

 

ああこういう純粋な心、好きを第一に動いている人生、

そういうものに強い憧れがあるんだなと、彼の人間性への憧れを再確認する良い機会だった。

 

 

帰ってからは、久しぶりにゆとりのある時間。

ずっとバタバタするか、寝込むかのどちらかだったから、

意識的にソファに座って、「ふぅ」ができることがすごく嬉しくて幸せだった。

 

翌日は総合病院へ。

さらーっとした先生で何も不満もないのだけれど

私も淡々と、にこにこと、術後問題なく経過順調です〜と答えて

スムーズに終わった診察。

 

でも部屋を出る時に看護師さんと二人になった時

「無理なさらないでくださいね〜」と声をかけていただいて

その時に結局、涙が溢れた。

「無理」していたんだなと、そういう言葉をかけられて初めて気がつく。

 

トラウマレベルの経験をした病院とその待合室とで

平然としていられるわけ、ないもんね。

 

それを無意識で取り繕っていたものだから

言われて初めて「無理」に気がついて、止められない感情があった。

 

ま看護師さんの言ってくれた「無理」っていうのは

日常の過ごし方とかそういうことに関してだと思うけど。

 

でも多分日々「無理」を連続して自分に強いていたんだろうな、と思う。

(でもそれも必要なのが人生でしょ?と思ったりもする)

 

 

とりあえず問題なく帰宅し

この日はだいぶ前から計画して楽しみにしていた同僚のフェアウェル兼クリスマス会を我が家で開催した。

 

限られた時間と調子の悪いお腹と相談して

できる限りのお菓子を作って用意をしていたけれど

みんな喜んでくれてとてもよかった。

温かい時間だった。

 

日常に欠かせない3人の存在。

いつもそばにいてくれて、いろんな言葉をかけてくれる心強い存在。

本当はもっともっとたくさん話したいのに、

大体15秒くらい話していると、しなきゃいけない仕事が入って

会話はいつも断絶される。

 

だからこうしてみんなでテーブルを囲んでゆったり過ごせる時間を作れて

本当によかった。

 

途中で主人が帰宅したもんだから

みんなを駅まで送ってダッシュで帰宅して、ダッシュで夕ご飯作りをした。

なんでこう、バタバタしてしまうのか。

もっとゆとりを持って過ごせば良いだけなのに。

みんなを送って帰ったのが19:20

主人は20時からオンラインミーティング。

ががーーーっとご飯を用意したら、それで息が上がってしまい

手が震えて(おちつけ)

ここにきて急に手先の違和感が気になって、

え、ついにギランバレーきた?と不安に襲われ始めた。

そうすると手先が真っ赤に腫れ上がって

足先までソワソワする感覚、呼吸も狭くて苦しい感じ・・・

 

ああ思い込みって怖い

 

(2週前にカンピロバクター発症。1〜3週間後にギランバレー症候群が併発する可能性が1000人にひとり)

 

結局ミーティングが終わった主人がそばにいてくれて

無駄な不安症はおさまり、今のところは大丈夫、あと1週間早くたたないかな

 

あの恐怖心そのものがとても恐ろしいものだった。

 

 

 

 

火曜日は

午前は最近とても仲良しの整体師さんのところで

施術も最高だし、何より話していて楽しい。

緊張せず、何から何までお話できる希少な存在だ。

 

帰り道に大きな書店に寄って、6歳のあの子のお誕生日の本を買う。

クリスマスっぽくて、幸せな気持ちに一人で浸っていた。

 

少し家で休んで、

午後からは地元のレディースクリニックへ。

 

食中毒前に受けていた不育症の検査結果。

をききにいくつもりだったのに、 

 

すっかり忘れていた子宮頸がん検査の結果を聞かされる。

 

なんでこうも、スムーズに前へ進ませてくれないのだろう。

 

待合室にいるだけで、産婦人科はきついのに

診察室に入って聞かせれる話がこんなに辛辣だとは。

でも裏腹に、病院の先生も看護師さんも大好きで。

特に今日の看護師さんは、何度も泣いているところを見られていて

そしていつも、奥の安静室の場所を確保して、優しくしてくれる方。

先生もナースの方も、いつも温かく見守ってくれているのが伝わるクリニック、

きついけど、優しさを感じられるところ。

多分これ、私がこの先順調に妊娠できたら

皆さんも本当に喜んでくれるんだろうなって

今からでもわかってしまうくらい、それくらいの優しいところ。

 

不育症に関しては、ショックもありつつ

これから対策が取れることは安心でもある。

でも、もしもっと早く気づいて対応していたら

この前の双子ちゃんたちを育てることはできたのかな?

そんなことを考え始めるとまた、辛くてたまらなくなる、

 

病院の帰りはいつものごとく

自動ドアを開けた瞬間にボロボロ泣いて帰った。

 

がんかもと思うと、頭がぼーっとして(9月も胞状奇胎疑惑の時そうだったな)

何も考えられなくて

家に帰ることもつらくて

図書館によって帰った。

本を選ぶことも難しくて

図書館の椅子に腰掛けて、病院でもらった検査結果などをただぼーっと

焦点も合わないような感じで眺めていた。

 

はあ。

 

せっかく気分が上がったかなと思ったけど

うん、上がっているんだけどね

なかなか前に進まないな

 

前向きに過ごしたいな、今あるものに感謝して

掃除して

心の整理して

これから先のやらなきゃいけない手続きとか予約とかもして

前を向いていこう。。。

 

ふう。

 

きっと、色々大丈夫だと祈ろう。

 

 

48

 

 

ブレーカー落ちた。

 

お風呂沸かして、ケトル沸かして、床暖房つけて

家が真っ暗に。

久しぶりのこの季節。

 

本当に、進む季節に置いてけぼりにされている。

 

私はまだ、9月の頭くらいから、全く前に進んでいない。

 

床に臥し続けたこの1週間。体も辛いし

何より、心がどんどん暗ーい方向への落ちていくばかりだった。

こんなに体がつらくなるなんて。

何も食べられないし動いても辛いし

仕事に戻ることを考えても辛い。

元気だったら本当はできていたこと、あえていた人、思っては悲しい気持ちになる。

 

月曜こそは久しぶりに夕ご飯を作ろうと思っていたけれど

どうしても気力が湧かず

それを素直に旦那さんに伝えると、外で食べよーって、どこまでも優しい。

それがまた、自分の情けなさを強く感じさせて、悔しくてたまらない。

 

多分シンプルに、うつ状態なのよね、

自分がそういう状態にあることにずっと蓋をして

元気なふりして働き続けてきたけれど

ここへきていろんなものにストップかかったら

さすがに心もぐらぐらとバランスを崩す。

 

純粋に

電車がきつい

勤務時間の長さがきつい

「不機嫌さ」が存在することがきつい

 

いろんなものを我慢して、産休のためと思ってここまでやってきた。

1年前に仕事を変えることだってできたのに。

今ここにきて仕事を変えるのはとても難しい。

仕事変えてすぐ、妊娠しました〜なんてできないし

だからといって妊娠するのを先延ばしにするような意思もない。

 

どこにも動けない

 

シンプルに仕事をやめるだけ辞めて

今後の手当てとかを考えずに

家でじっとしていることならできるのかも。

 

でも、まだまだ自分の力でお金を貯めたいし

好きな時に好きなことができるようなお金を作りたい。

 

 

あれれれ何に悩んでいるんだっけ。

 

本当はただ、もう少し休みたいだけなのです。

そしてきっともっと自分の悲しみにちゃんと向き合って

目を背けるんじゃなくて、心の整理をちゃんとすべきなのです。

 

 

 

今日は久しぶりに10分以上歩くことがやっとできて

へろへろになりながら公園に行ってきた。

ベンチに座ろうかと思ったけど、ちょっと違くて

地面に座りたかった。

土と葉っぱを感じて、鳥の声を聞いて、秋の草の匂いをたっぷり吸って

そんなこんなしていたら

涙が出てくるくらいしか、自分の体は反応できなくて。

ただただ泣きながら、公園の中で過ごす休日だった。

暖かい日でよかった。

 

私はこの町が好き。

都心は、本当に疲れてもう行きたくない。

 

この町にいることをもっと生かしたいなとつくづく感じた。

 

 

明日私は仕事でどんな態度を取るんだろう、

平気なふりする?

なく?

辛いことを伝える?

 

どれも正解じゃない気がして、むつかしい。

 

 

楽しく気楽に生きたいだけなのよ

なぜこんなに難しい?

 

 

 

追記

旦那さんがいて本当によかった。

すごくすごく優しい。それが本当によかった。生きていてよかったと思えること。ありがとう。

 

11月27日

何も作れなくて行ったお蕎麦屋さん

帰り道にいなげやの書店に行きたくて、誘った。

満月を見てから、書店に行った。

いなげやココナッツサブレのアイスを買って帰った。

 

 

またぼろぼろ泣いている

47

 

 

平日の記憶がすっ飛んでしまうくらい

月曜夜から今にかけてがとても辛かった・・・。

 

昨晩から謎の高熱。検査結果はインフルでもコロナでもない。

何が辛いって体の痛みと

流産手術前日の時と同じような途轍もない吐き気。

また、ああこれはつわりじゃないと今更ながらなことを思う。

 

夜中には39.9まで熱が上がって、意識も朦朧としていた。

漠然と「死にそう」の感情が覆い尽くして

でもそれが嬉しかったのよね。

死んだら、天国で赤ちゃんたちのママができるかなって。

近くにいられるかなって。

 

だから、こんなに苦しいなら、早くそうさせてほしかった。

そこまで思い詰める夜だった。

 

今日はマンションの停電断水もあったから

それが常に頭の片隅に。

痛い、暑い、気持ち悪い、痛い、辛い、の繰り返し。

午後には少し良くなってきたけど

気持ち的にはなんだか絶望的。

 

不思議だったのが病院に行った時に

地元の産婦人科のあたたかさを思い出したり

入院した病院の看護師さんの優しさを思い出したり

戻りたいな、あの病院にかかりたいな、

かかれる体の状態でいたいな、とそればかりを思ってしまった。

 

あとは

流産の手術をしてからだいぶ時間が経ったと思っていたけど

まだ2ヶ月ちょっとなのよね。。。

そりゃまだまだ辛いよ、もっと休み休みでもよかったかななんて思った。

 

 

 

こういう体調を崩す日って何かと

友達を家にお招きする日が多い。

夕方までは本当に楽しかった。

私の人生の中で出会えた天使ふたり。はるばるわが家まで遊びにきてくれた。

いつもよりも寄り深い話ができて

彼女の苦悩をしって、私たちと出会えたことでそれを越えられた、なんて話を聞いて。

 

ああ元気な体調のままであの余韻に浸りたかった、それくらいの素敵な時間だった。

 

 

明日はブライトン時代の台湾人の友達に会う予定だった

明後日はお世話になっていた神社のお祭りに行く予定だった

どちらもこの体調じゃキャンセル。

どちらも別日に振り返れない予定。

悔しい。し、1週間前はそれくらいの予定を詰めて

動ける自信があった自分がいたことをが信じられない。

 

今は体力、体調に関して全ての自信を失った感じ。

仕事に戻れる気もしないし

楽しみにしているイギリスで体調壊したらどうしようの不安が出てくる。

 

 

うううう。

 

気持ちも辛いし

シンプルに体調が悪すぎる。

 

ご飯せっかく作ってもらったのに

今からもどしちゃいそう。。。。