46

 

出遅れた

 

 

毎日、すっきりしないここ最近。

感情の6割くらいが「つらい」「疲れた」を占めていて

そんな自分が好きじゃなくて

もっと落ちていく・・・。負のスパイラル。

もちろんいろんな瞬間がある。

楽しい時も前向きな時もあるけれど

それはほんの一瞬で過ぎていってしまう感覚。

 

多分、立ちすぎ

ねぶそく

体の痛み

 

色々と解決されないまま日々が進んで

疲れが自分の大半を占めている状態で

感情のコントロールも効かなくなっている。

 

 

そんな負のスパイラルに陥っていることは前提として

辛さやいらいらを抱えながらも休日はきっと充実していたと思う。

 

流産のポストをした日に幼馴染の友達がすぐに電話をくれた。

それがとてつもなく嬉しかった。

そういう友達っていないと思っていたから。

ラインはあっても、すぐ電話って、

自分もしないし

それをましてや誰かが自分にしてくれるなんて思っても見なかったから。。。

 

体が落ち着いたら、紅葉見にいこーって。

 

その救いのような約束をこのおやすみではたしてきた。

 

ずっといきたかった日光へ。

中禅寺湖の美しさ。圧巻だった。

もちろん目に見えるその景色だけでも圧巻だったけれど

あの日のツンとした空気の冷たさ

澄んだ空気の美しさ。。。

世界に氷が張っているかのような静けさと冷たさ

もう一度じっくりと今味わいたい、そんなふうにしみじみと思ってしまうものだった。

 

湖の周りを歩きながら

寒〜と気持ちい〜を行ったり来たり、。何度口にしていただろうか。

 

 

 

中禅寺湖の美しさと同等に感激したのは旧英国大使館別荘でのティータイム。

景色、内観、家具

あの雰囲気でいただけるクリームティって最高で・・・

時間も気にせず3人でゆっくり話しながら、

日光きた意味ないねって思うくらい、色々話が弾んだあの時間、楽しかったな。

 

そうそう、3人ってね、

その電話をくれた幼馴染の男の子と、その子の彼女と私ね。

7月にその彼女さんは初めて会ったばかりだけれど

本当に心優しい器の大きな素敵な子で

2回目とは思えないくらい話もしやすくて心地よくって。

 

ありがたいことに車の後部座席っていうのもあって

人と目を合わせる必要もないし

時々話に入らないことを選ぶも自由だし

なんだかとっても楽で

言い方が悪いけど都合がいいというか

話したいタイミングで話したいこと話す

みんながそれをしていた1日だったような気がする。

 

 

いろは坂は流石に体への負荷も大きくて。

でもそれにも勝るいい秋の思い出ができたのだった。

(紅葉はもう終わってたけど)

 

 

翌日はエイドリアンのビーガンお菓子レッスンのアシスタントの仕事。

休日の仕事。

5月にも手伝わせてもらって学ぶことも多くって

自分の力?みたいなことに気がつけることもあって

今回も声をかけていただいたのが本当に嬉しかった。

前回一緒にアシスタントをした方とより近づけて

なんだかこれからにもつながりそうな予感。

 

動きながら色々思うこともあったけど

終わった後の感想は、とにかく疲れた。。。

 

2日間の休みをこんなにフルでアクティブに動いたのが、いつぶりかわからないくらい久しぶり。

本当に体がいっぱいいっぱいだ。

そろそろ、どこかでガタがきそう。

 

後3日間はたらいて次は3連休。。。

上手に自分を緩ませてあげられるかな。。。

 

 

はあああああああああああああああああああああああああああ

 

 

ため息めっちゃ出るよ

 

色々あるよね人生。

 

がんばろう。

 

はああああああ。

45

 

 

かすみとジェンガをしたり

念願のどーなつ会をしたり

しもちゃんとゆっくり(まだまだ足らないけど!)お話をしたり

疎遠だったあの子と8年ぶりくらいに連絡が取れたり

 

楽しいこと、心が癒され満たされなこともたくさんあった週。

 

 

でも、辛い方が大きいかもしれないな…

 

ふと気がつくと泣いているし

 

つかれたーの、負の感情に覆い尽くされている。

 

 

うー

 

ちょっと難しいなぁ

 

またすぐしもちゃんにあいたいな

 

44

 

10月が今日で終わりを迎え、また書きたいことがたくさんある1週間になった。

 

久しぶりのよもぎ蒸しを再開し、お腹から温まるこの感覚。

全てを手放してリラックスに徹する30分間を過ごすこの感覚。

きっと私には必要な物だ、と実感する時間となった。

 

そしてお休みの今日はあやかさんと7月の終わりぶりにデート♡いつものカフェで。

この3ヶ月で、わたしにも、あやかさんにも、

本当にいろいろなことが起きていた。

2時間では語り尽くせ無いけど、でもお互いに通じ合えるきもち、からだの経験をして

今日のおしゃべりからもまた、得る物がたくさんあった。

そしてあってい無い間も、思ってくれていた時間があったことを聞き、

とてもとても温かい気持ちで満たされた。

 

 

今週は気づくことがたくさんありすぎる週だった。

自分の中で

夢の中で

周りに起こることの中で

突然聞こえる声の中で

いろんな方面から、いろんなものを注がれたような感覚だ。

 

時系列で追っていくと

この3週間ほど、夢が騒がしく、登場人物が多い。

特に小中学校高校の頃のクラスメイトなんかが出てくる夢も多くて

内容は、合奏をする前の部活っぽいシーンだとか

車の運転?水泳?

テストの勉強をしていない、遅刻をしそう、卒業論文の書き直しを全く進めていない・・・

そういうものばっかりで。

全部、苦手だったこと、精神的に追われていたもの、私を緊張させていたもの

強張らせていたもの・・・。

起きた時の心地はとても悪く、あああれに取り組まなきゃ。。。間に合わない。。

そんな気持ちばかりを味わう。

 

私はいつも、成長をしたい、と望んでいる、それに向かって努めている。

その成果が、点数・評定が上がってだとか、順位が上がってだとか

形に現れると、嬉しいし安心して不安を取り除くことができた。

音楽については点数評価ではなんとも表せないけれど

間違いをせずスムーズに、イメージ通りに演奏ができたかどうかなんてところで

判断をしていた。

逆に、それらが失敗に終わると、ひどく落ち込んだ。

 

結果が出る前や本番前は

それがうまくいくかどうか不安になり、ひどく緊張した。

人ならそれくらいを味わうのが当たり前なのかもしれないけど

緊張しやすい質の私にとってはその状態がひどく負荷がかかっていた。

 

その緊張がきっと今にも残って、こうして夢を見るのだと思う。

 

同時に

今歩んでいる人生は、

点数をつけられることも

人からいい悪意を評価されることもなく

そのせいで?おかげで?

自分が果たして正しく努力を重ねられているのか、成長しているのかがわからない。

 

だから点数で評価されて喜ぶという単純サイクルを好んでいた私にとって

自分を認めてあげることが少し難しい仕組みの土壌に立っているのだと思う。

 

いいのか、悪いのか、は判断できない。

でも

ここまでの人生で蓄積してしまった緊張を少しずつ緩めるという作業は

今もこれからもまだまだ必要な作業であることは確かだ。

そして今とこれからに関しては、

点数や形でわかるものでない、他の方法で自分自身を

ほめる、みとめる、その作業をしてあげると

きっと自分が喜んで、もっと頑張っていけるのじゃないかと

あくまで仮説だけれど気がつくことができた。

 

 

 

みちこさんとのセッションでも得られた気づきだけれどとにかく私は

自分自身で植え付けたものに縛り付けられる癖がある。

 

夢の話は上のところまでにして話を変えると、

子どもを迎えることについて一つ気がついたことがある。

 

子どもができることが怖い、悪、という感情が植え付けられていたことに気がついた。

きっかけは昔付き合っていた彼のお母さんが放ったひとこと。

何気ない言葉だったと思う。

「子供だけは作るなよ!!!」と

 

当時は大学生だったし、確かにその時はこの言葉を受け入れるのは

間違っていなかったと思う。

でもこの時の言葉のインパクトが私にとっては強くて

その彼と、子どもができたらどうしよう、と。

その恐れからピルを飲むようになったし、

彼とお別れをして新しいパートナーになりそうな人と出会った時も

(うまく進まなかったけれど)

子どもができて”しまう”ことが怖くて

一度やめていたピルを再び飲み始めたのだった。

 

多分この言葉は自分が考えていた以上に自分の脳に根付いていたのだ。

 

なぜか今週そのことにふと気がつく瞬間があった。

 

それと同時に

もう怖がらなくていいんだ。

いつでも迎えられるんだ。

なぜなら、私の気持ちもready,

そして私には一緒にこどもを育てていけるパートナーがいる、

そして安心安全心安らぐマイホームもある。

6月の数週間と8、9月の1ヶ月ほど

パパとママとして過ごしていた私たち。

夫婦同士でも、子どもに対してもしっかりと向き合っていく

心の準備と覚悟ができていると思う。だから大丈夫、

 

今までの恐怖心を少しずつ和らげていこう、

これを教えてくれたのもまたふたごちゃんの存在だったね。ありがとう。

 

それを週の前半に気がつき、週の後半にはまた

もっとリアルな形で自分たちの家族をおおきくしてゆけるんだと実感できる瞬間もあった。

 

月曜日、ふたりで近くの大きな公園に行った。

秋の青空、そよかぜ、コスモス。木の香り、土の香り、秋の花の香り、少し冬が近づいてくる香りに包まれながら公園を歩いた。

 

その時に

あ、こどもが産めるな、の感覚。新感覚。

 

でも確かな感覚。

 

言葉にするのは難しいけどそう思うことができた。

 

公園をゆっくり散歩して

そり滑りをするこどもたち、ふわふわで跳ぶこどもたちを見て

あ、子どもたちをここに連れてくるためにこの町に来たのかもしれないな、と思えた。

 

その翌日の今日は、今までの人生で初めて

ベビーカーを押している自分の画が見えた。嬉しかった。

 

 

休日ここまで満たされた思い、前向きな思いを抱けているのは

日曜日の夜に、満月の素敵な時間を過ごせたから、という理由も大きいかもしれない。

 

近所のお店で7周年特別のディナーをいただいて

美味しい、楽しい、幸せのシンプルだけど自分の中で一番好きな感情を味わった。

店主の方にお祝いの言葉もかけられて

本当に好きな町にやってこられたと感じられた。

 

婦人科も近いし、ふたごベビーカーが置いてある家も近いし

いつもあの道を通る時は実はすごい胸が痛む。

でもそれさえも愛おしいと思うくらい、

大切で、必要な経験だったと思えるくらいの

美しい満月を眺めて、

全てに理由があるのだとしみじみ感じられた。

 

 

 

このひと月は

命、生と死を考えることがあまりにも多い月だった。

 

オーナーのお母様がご逝去されたり

近所のお店の看板猫がなくなったり、

少し前に遡ると、お爺さまの1周忌に出席したり、

兄の奥さんのお母様が半年の余命宣告を受けたり。。。

イギリスのパパが心臓の手術を受けたことを聞いたり、

同僚のご主人の死から1年が経ったり。

自分自身もつい先月に我が子たちの死を経験したり。

 

主には自分たちの流産のことで頭がいっぱいだったけれど

急にそんなふうには思っていられないということが周りでばたばたと起こった。

 

いのちの問題とは少し離れるけど

 

主人が指を骨折して手術することになったり

私の母が知らないうちに肋骨を折っていたり。

 

自分にとって一番身近で

一番大切な人たちが傷を負っている。

 

こんな時こそ、自分に何ができるのか。

何を選択するのがベストなのか。

 

 

難しい局面にいる。

 

と自覚をしているけど

 

同時に愛もすごく感じている。

この愛を、形に、行動に表していくときこそいまなのではないか。

 

 

感謝と祝福・・・

赤ちゃんたちが抱かせてくれるもの。

胸が温かくなるし、背中を押してくれる。

 

 

今週は気がつく子と学ぶことが多すぎたけど

一つ自分の生まれてきた使命も湧いて、聞こえたきた

 

Spread LOVE

 

馬鹿みたいかもしれないけど、これなんだよな、これしかないんだ。

 

 

全てのことが簡単でないのはわかっているけど

どれに対しても思い残すことのない行動をしていきたい。

 

そればかりを思う、火曜日の夕方。

 

思うことが溢れてゆく火曜日の夕方、10月の終わり。

 

 

めも

死が絶対的ではない

と悟る。

今まで市だけが絶対的なものだと思っていたけど

死さえも絶対的ではない。

 

死を迎えるからって終わりじゃないんだということ。

 

 

43

 

 

今年もあと10週を切っているんだ〜とふと思った月曜日の夜。

 

少しずつ、いろんな日常を取り戻している。

疲れ過ぎてしまう自分も含めて。

 

今週はなんだかとても疲れていた。

 

彼が風邪をひいた〜と数日間引きこもり、なんだかそのこと自体に吸い取られて

ぐずった赤ん坊のような、悪い態度を取り続け

自分でもどうにもならないくらいいらいらして過ごしてしまう平日だった。

それはまるで体調崩す前の子どものような態度で

案の定、土曜の夜に風邪をひきはじめた。

喉が痛くて、呼吸がしづらくて・・・。

久しぶりに典型的な「ただの風邪」を拗らせた。

彼が風邪をひいた時、私は自分にうつらないよう

部屋を隔離して、最低限ご飯だけ作って下げて洗って、だけをしていたけど

彼は私に必要なものを買ってきてくれたり

詰まった鼻やいがいがの喉を労ってくれてずっと優しく看病してくれていた。

 

そういうところなんだよな、

自分の足りていないところ。

 

Giveだけをシンプルにできる人間になりたいという目標はまだまだ叶わない。

 

それと同時に彼のその優しさを受け止め、彼の存在丸ごと、彼と過ごす日々丸ごとを

とても大切に、愛おしく思った。

 

 

風邪はひきはじめですぐに対処したから悪化したり長引いたりすることはなかった。

漢方とハーブとを駆使して、ここまでに抑えられたのはなんだか嬉しい。

 

 

 

そして、ぐずぐずしながら働いていた日の夜、

1週間前にできなかった、BLAWについて文をやはり書きたくなり、

帰り道の時間をたっぷりと使い、ひとつの文章をインスタグラムに更新した。

勇気のいることだった。

 

どう思われるかも不安だし

自分自身がこれからどう進んでいけるかにも不安がある。

 

でも、今の段階で言えることは、書いてよかった、ということ。

 

たくさんのコメントやメッセージをいただいた。

経験のある人、

寄り添った気持ちを示してくれる人、

誰にも言えずに一人で苦しんていたことを打ち明けてくれた人・・・。

全てのメッセージが嬉しくて心温まるものだったけど

中でも一番心に響いたのは

ずっとお世話になっている、かつずっと家庭教師をしていた神社の子、すずからのメッセージだった。

もしかしたらこれまでの人生で人からかけてもらった言葉の中で一番嬉しいものだったかもしれない。

 

以下、抜粋

りさ先生は昔から本当に人の悪口は言わないし、誰にでも優しく今まで出会った人の中で1番心が綺麗で素敵な人です。本当にずっと大好きです。辛い時はちゃんと周りの人に辛いって言ってください!溜め込まないでください、もし周りの人にいえなかったり言いずらかったら私にいくらでもいってください、少しでもりさ先生の助けになりたいです。りさ先生とりさ先生の旦那さんの双子の赤ちゃん忘れずに一生これから覚えています。

 

本当に嬉しい。

 

私にとって、子どもと成長するっていう経験をさせてもらえたのは

彼女との出来事が大半を占めていて

そのおかげで、子育ての大変さを知って、

自分自身の忍耐とか相手を尊重する気持ちとかを持てるようになって

すずちゃんのいう「心が綺麗」は不思議なことに、すずちゃんがそうさせてくれたもの。

子どもが欲しいとちゃんと確信して思うようになったのは、

完全にこの子との経験を通してなんだ。

だからその子からこんなふうに言ってもらえるのは

ある意味で、一つの子育ての成功体験というか

(もちろん子育てとは全く違う感覚で、もっと覚悟が必要なのはわかっている)

喜び、自信を、さらに形があるものとして、今回の文章で贈ってもらえたのだ。

 

いつも須賀町とその神社都に守られている自覚はあったけど

彼女にもこんなに守られて、成長させてもらっていて・・・・。

本当に力強い存在なんだ。

 

辛い辛い気持ち。

まだまだなくし、一生乗り越えられるものではないと思う。

 

でもこれが自分だ、自分の赤ちゃんとの人生だと受け入れて。

 

ここまで知らなかった感情をたくさん教えてくれる双子ちゃんたちにも改めて

感謝の気持ちでいっぱいだ。

しずくちゃんめぐむちゃんありがとう

 

 

 

今日は本当はまりこさんをお招きする予定だったけど

この拗らせた風邪でリスケさせてもらうことにして。

この月火は何も予定を入れずに、家のことをやってただのんびりと、と思っていたら

朝に宅配便が。

 

まさかのまりこさんからの贈り物だった・・・。

パウンドケーキに、お茶、そしてI'm sorry for your lossのメッセージ。

美味しいし、温まるし、優しいし、これぞsweetestな贈りもの。

 

ありがとうありがとう。。。なんか言っても伝えきれない感謝の気持ち。

本当にありがたい。

 

手を差し伸べてくれる人がこんなにもたくさんいる。すごい人生だよね。

 

人に助けを求めて叫ぶことだっていい

泣いたっていい

気持ちをあらわにしたっていい

 

いろんなことを教えてくれる赤ちゃんたち。

 

そろそろ、次への自信がすこーしずつ芽生えてきたかもしれない。

 

毎週火曜の日記はこうやって、

自分自身の心の中を整えて、前に進む準備をさせてくれる。

 

お義母さんが喜んでくれていた話とかも含めて

見えてい無い物がたーくさん見えた見えた1週間だった。

 

あ、一つきつかったのは

勇気を出して向かった総合病院、一階に行くだけだから油断していたけど

受付にあの時のインド人(?)夫婦達、お腹すっかり大きくなっている。

きつかった・・・

あと昨日と今日2日連続でふたごちゃんベビーカーを見る。これが日常の中で一番きついことかもしれ無いな。

 

でも

それくらい愛している証拠だし、会いたい証拠なんだ。

この世では会えないかもしれ無いけれど、いつか会えたら嬉しいな。

 

そして少しずつ整えて、またいい春を迎えられたらいいな。

 

 

感謝がますます募る1週間。

42

 

 

ゆったりとした休日・・・。

友達と会う約束はせず、

整体に行って、掃除して、散歩して、買い出しして。

図書館行って、散歩して、カフェに行って、買い出しして。

そんな、2日間。

 

でも今朝はいつもよりもちょっとしっかり、窓と庭の掃除をした。

今日は今年最後の天赦日。

太陽光がとにかく綺麗で、空気も澄んでいて、お日柄の良さにぴったりの日だった。

そして、今年のできごとへの感謝が募る日でもあった。

 

そうそう、昨日の夜は約3ヶ月ぶりのおふろの王様へ行った。

この間までは満月のタイミングで行くのがなぜか恒例になっていたけれど

今回は新月のタイミングで。

何も考えずに不感温湯にずーっと入って、露天へ行って、

壺湯でなぜか号泣。気持ちよかったんだ。

こうしてお風呂に来られる喜びと悲しみを同時に感じて

でも、それでも溢れてくる気持ちは感謝の気持ちで。

そう思えるところに着地できている今が、とてもありがたい。

 

1日1日巻き戻るような日記にすると、その前の日はPregnancy & Infant loss rememberance Day

キャンドルをともして、お庭で赤ちゃんたちへの想いを馳せた。

ただ、なぜかアイフォンのスクリーンから目が離せず、肩と首ががちがちになる

ちょっと辛い時間になってしまった。

文を書きたい気持ち、公表したい気持ち、そうしたくない気持ち、入り混じり、今は何もできなかった。

やはりもう少し、時間のいることだと思った。

 

この日の夕方は、のんびりできてとても素敵な時間を過ごした。

季節のアフターヌーンティが最後の日を迎え、小さなお茶の時間をさせてもらった。

プレートに盛られたかわいいピースたち。

じわーっと沁みる濃いミルクティ。

日曜日夕方の、小さなテーブル。賑わうティールーム。

 

普段自分が提供する側だと感じられないあの穏やかな気持ち。

これが幸せの形だな、と感じる心地の良い時間。

 

この期間は、お休みしていることが多かったけど、気持ちも辛かったけど、

それでもこれが自分にとってもの楽しい仕事なんだと思わせてくれるものだった。

それを締めくくる、ご褒美の時間。

また週明けからの活力になってゆく・・・。

 

この前の日は、涼子ちゃんにあったのよね〜

退勤後、かつ遅くなり過ぎない時間帯までの喫茶店での時間、最高だった。

なんでも気楽に話せて、こんなに心がオープンになったの、いつぶりだろう、という感じ。

大好き大好き〜の気持ちでいっぱいだった。

 

 

思い返せば、5連勤をしたのは本当に久しぶりだった。5月の終わりくらいぶり?かしら。

年内はこれで頑張っていくんだ!

 

可愛くて楽しい新しいメンバーを迎え

そして明日からは、大好きなあのメンバーが帰ってくる。

それだけで、頑張っていけるんだ!!!!

 

でもそれに加えて、やっぱりお客さんをお家に招いている、そんな気持ちとそんな雰囲気づくりを

やっていきたいなあ。。

 

色々読みながらそう感じるのであった。

 

 

 

 

金木犀の香りが大好きなのはわかるんだけど、

でも、あらためて、大好きだ、大好きだ。

嗅覚的にも心地が良いのはもちろん

郷愁を誘うこの香り、なぜでしょう。

 

そして毎年、それに思い出がさらに重ねられていく。

2023年の金木犀は、流産のあとの悲しみとこれからへの希望とで折り重なったビタースウィートな香り。

 

来年はどうなっているかな?

お腹を大きくしている?ちーいさな赤ちゃんを抱いている?自分でお菓子をたくさん焼いている?同じような生活をして日記を綴っている?

 

香り、記憶、脳みそに残って、重なっていく。

どんな思い出でもいい。

自分が、心地よかったな、幸せだったな、ありがたかったな、そんなふうに思えるものだったら尚良いのだが。

 

 

ネイビーがかった夕刻。

とっくのとうに夏は終わっている。

 

大好きな季節に向かって。

41

 

 

今年は大切に思う週が多い。

 

今週もまた、この1年の中でとっても大事な週になった。

 

まずは先週心に決めたことを職場に伝えたこと。

何をどうするか、まだヴィジョンはぼわぼわだけれど

2024年からは、フルタイムをやめて自分自身で予定を組み立てていくことを決意できた。

勇気が必要な週の初めだったけれど、きちんと伝えて、聞いていただけて、よかった。

 

久しぶりの3連勤をして、正直体はへとへとだった。

週末が濃密な時間だったので、あまり覚えていないけれど、

仕事は力を入れすぎず、でもやっぱりティールームの仕事は楽しいなんて考えながら

過ごせていたと思う。

 

 

土曜日から火曜日は関西で過ごした。

土曜日はそんなに早く起きる必要はなかったけれど

目も覚めてしまったから、

そのまま彼らのYoutubeを観たり、掃除機をかけたりいい朝を過ごせた。

ゆっくり目のスタートができてよかった、そんな朝。

 

ところがところが。ローカル線は遅延するわ、

新幹線に乗るために到着した品川駅は爆混みしているわ

なかなか体力を奪われる移動だった。

結局新幹線は数本見送り、グリーン車でゆったりと。いつもほど

携帯ばかりを見ているような時間にはせず

あまり疲れはたまらなかったかしら。

それよりも久しぶりに長距離移動ができる喜びがまさっていた。

 

その日は宿について、近くのペットショップを見て楽しんだ。

彼は少し実家に行って用事を済ませて

その後はららぽーとに行った。

やっぱりSCが好きだなって気持ちに気がついて(まさか今思うとは!!)

その思いの丈を彼に話した時に結構驚いていて

私のそういう一面も知ってもらえたかな、と嬉しい気持ちになった。

 

もう一つ幸せだったのは、GAPのベイビー服を見たこと。

今回は叶わなかったけど、あああって子どもの服を一緒に選ぶ時間、

そう遠くない未来に叶えられるといいな、と思った。

夕ご飯食べたり、31のアイスクリーム食べたり、

普段はしない、SCでの時間。

家族の団欒を外でしているあの感覚、いつまでも、これからはより、大切にしていきたい。

 

 

翌日は緊張の一日。

朝は早くなかったけれど

身支度を整えたり香典袋の用意で大失敗したり

ひとりでわたわたとしていた。

 

電車もあまり慣れないしちょっと酔うし

彼の家族に会うことも、初めての親族に会うことも

緊張してお腹が痛くなるし。

ヒールもイヤリングも辛いし。。。

逃げたいと思う瞬間もあった。

 

でも、初めて会う彼の親族は聞いていたよりもはるかに素敵な方ばかりで

彼のご家族も、久しぶりだったけれど

穏やかに温かく迎えてくれて、

頭の中で嫌な想定ばかりしていた自分が馬鹿みたい、

むしろあえて安心感を得られるくらい、自分でも不思議な感情だった。

 

心配は杞憂で、いつの間に法要が始まった。

お経を読んでいる間、自分の中の気づきなのか、おじいちゃまから託された言葉なのか

わからなかったけど

急に言葉を降りてきた。

 

「自分の体を大切にしなさい」

「でもそれよりもっと親を大事にしなさい」と。

 

この一年、本当にいろんな思いを味わい、

妙な距離をとってしまっっていた彼の家族。

でも、このままじゃ嫌で、きちんと向き合いたいな、とその前の夜からずっと思っていたし

この時により、そう思った。

自分にとって、本当に大切な存在なのだと。

今更すぎるかもしれないけど、今になってやっと気がつくことができた。

 

今回の法要で泣くつもりなんて一切なかったのに、

お坊さんからのお話の時、涙が止められなくなってしまった。

小さい子が一人だけいて、お経の時、もちろんじっとしているのは難しいよね。

そのことをフォローしてくれているお話の時に

子孫が元気で、騒がしいくらいでいてくれる方がよっぽど喜ぶよみたいなお話をされたときに

あぁここに12週の双子ちゃんたちもいたのかもしれないなと思うと

やっぱり悔しくて悔しくて悲しくて悲しくてたまらなくなった。

親族の方からしたら、なんで一番遠い血縁のあなたが一人ぼろぼろ泣いているんでしょう?

っていう感じよね。。。

 

でも、あれはあれで、

私の素直な気持ちだから。私はそれを受け入れて進んでいくしかないんだ。

 

 

その後は家族だけで移動して、義兄と主人と3人で中之島を歩いて

再合流してみんなで夕ご飯。

なんだか、緊張もせず、なんだか、過ごしやすかった・・・。

 

その後は二人になれてホッとして、またこの日もお宿でバレーボール。

熱いお風呂に浸かって疲れも取れた。

 

 

翌日は、彼の実家へ。

お掃除したり、竣工式の用意をしたり。

お祓いに参加させていただいたのはとてもいい時間だった。

御供物としていただいていた鯛をすぐ捌いてくれた主人。

それを浸かってお吸い物を作って、ほっとして喜んでくれたお母さん。

二人の時間を何気なく作ってくれて労りの言葉をくれたお姉さん。

不器用ながらも優しさを言葉にしてくれるお父さん。

血のつながりは全くないけど、その分心強いお兄さん。

 

みんなの存在がありがたくたまらなかった日。

 

色々あるよ、色々ね。

簡単じゃないし、たのしーーーい大好き〜〜〜〜とは違う。

でもやっぱり、家族として、みなさんをすごく大切に思う。

思うだけでなく、行動としてその思いをしていかないといけないなとも思う。

 

会うまえは自分が怖気付いていたけれど(嫌な言い方)

本当に行けてよかった。

きちんとコミュニケーションとって

肩をさすって、握手して、背中をさすってもらって。

 

この機会が持てたこと、作っていただけたこと、全てにありがたい気持ちでいっぱいだ。

 

 

 

 

と、とてもいい時間を過ごしたけれど、どうしても気疲れは避けられないものだった。

 

とここからは自分へのご褒美、ここ最近の全てのことに対してね。

ここまできたら、あの地へ向かう、その一択だった。

 

まずは西陣へ。大好きなティールームへ。

京都のお兄さんとお姉さんができた。

スコーンの話をライトに始めたところから

いつかしたいお店の話の深いところまで。

共感できることも多すぎるし教えてもらうこともまたたくさん。

心強い存在に人生で出会えたことに大感謝だ、

 

2023年は友達ができなかった?なんて思っていたけれど、

こんなに素敵な方と、自分の力で巡り合って仲良くなれてるじゃん!!って気がつけて

その事実自体がもう、嬉しくてたまらなかったし、

それをめずらしく自分自身で自分のことを褒めてみた。

あの満たされた気持ちで歩いた夜の上七軒。気温も暗さも季節も、何もかもが最高の気持ちだった。

 

心の満たされ具合と裏腹に、疲れはピークへ。

銭湯に行って自分的京都時間を過ごすつもりも断念。

ホテルの部屋でただただくつろいだ。

 

次の日も無理するプランはやめて、いくスポットを絞った。

 

いくのはこれだけ

禅林寺

岡崎神社

恵文社

デルタ

 

そしてゆっくり起きる!

 

と思ったもののそれはなかなか難しく、6時に起床。

ゆっくり過ごしたけれどもやはり早すぎて

作戦変更し先に岡崎神社へ。

 

朝の静かな境内。ただ太陽が入り込む。

 

赤ちゃんを授けてくれたお礼に伺った。

授けてくれたご利益は確かにあったのだと思う。

そして、何よりも気づかせてくれること、学ばせてくれることがたくさんあった。

3人の魂への感謝を強く強く抱いた。

 

参拝の時に涙が出たのは久しぶりだった。去年の貴船ぶりだ。

 

絵馬を書いていこうかと思ったけど社務所もまだ開いていない時間だったので今回は断念、。

そういうことを受け入れる自分になっていた。

 

そして初めての禅林寺

とてもとてもよかった。

自分が何が好きか、どういうことで心が落ち着くか、そしてなぜ京都が好きか、

五感を浸かって再確認することができた。

みかえり菩薩(?名前違うな・・・)のスタンスがすごく好きだった。

東山には絶対行くぞ、、の毎度の京都訪問だけど、いつもと違うところに足を踏み入れたのがとてもいい経験になった。

 

恵文社のオープンまで微妙な空き時間があり、近くのカフェへ。

ふらっと入った小さなカフェ。

陽をあびながらビーガンケーキをいただく、大正解なチョイスだった。

 

 

 

朝から腹痛に襲われていて

あ、生理・・・。

いつぶりの生理かしら。

やっと帰ってきたね、の感覚。(そしてやっぱり痛い)

いろんな気持ち。嬉しい、悔しい、やっと整えられる、などなど

 

一乗寺について、ドラッグストアでちょうど時間を潰し11時に。

腹痛に襲われながらも3冊選んで帰路へ。

 

あデルタに行ったね。

大きな鞄を持ちながらの飛石は普通に怖かった。

 

鴨川にさよならを告げてバスへ。

 

最後の鴨川を見ながら思ったのは、

この一年で何も進んでいない??いやいや、ぐるりと巡って一つ成長したよ!!!という感覚。

ちょうど去年の今頃、結婚式を終えて「人生で一番静かな時」という自覚を持ちながら京都を旅した。気持ちのいい旅だった。

で、それは意味としては、これから妊娠、子育てをしていくから一人で自由が効いて静かに過ごせるのは今が最後、ということ。

 

あれ、今も同じじゃない。

 

上っ面だけ見ればね。

残念ながら何も変わっていない。

 

でもこの一年で

2回妊娠した。

主人と、自分の家族と、主人の家族と、全てをひっくるめて

私の大切な家族とたくさん大切な時間を過ごした。

仕事も頑張ったし、休むこともできるようになった。

家も変わって、落ち着く場所になった。

新たな土地に越して、ここでの将来をどんどん思い描いてイメージを膨らませている。

 

書ききれないけど

自分のマインドセットも含めて

色ーーんな変化があった。

 

だから決して静かな一年じゃなかったし、

それは絶対いい意味で、いい方向に進んで、成長もできている、と思う。

 

し、逆に言えば

形や見た目は変わっていなくとも

変化や成長、内なるものの動は常に起きているんだ。

 

ここの真理に至れたこと、ここから先の人生の糧になると思う。

 

 

本当にいい休日だった。

 

意味のある、愛のある。

 

今自分を囲む全てのものがありがたいものばかり。

 

ありがとう。ありがとう。

 

明日からも一つ一つを大切に。

 

全てのことがこの先につながっていく。

40

 

 

泣かない日が増えてきた1週間。

 

一つだけ、苦しかった記録を。

 

仕事中、お持ち帰りのお客様で臨月くらいのお腹をした方がきて

普通に接客しているつもりだったのに、涙が堪えられなかった。

絶対に、変な店員だった。

 

あそこで涙が出たことが悲しくて

外に出て見たけど、やっぱり涙が出ることが悔しくて

何も悪くない人に、嫌な思いをさせたかもしれない。

自分がなるかもしれない人を、涙を流す原因としてしまった。

 

こういう気持ちがきっと、これからも付き纏う。

簡単なもんじゃないな、と、ただただ思うのだった。

 

 

 

でも、辛かったのはそれくらいだったかも。

 

久しぶりのレッスンやティールーム。

やっぱり嬉しかった。

日常に戻ると、でもそれはただの日常で。

2週間も離れていたことを全く忘れてしまうくらいの感覚だった。

 

でも大切な瞬間がいくつもあった。

えりこさんに、無理していなくていいのよって言ってもらえて肩の荷が降りた。

あさみさんから、可愛いメッセージをもらって、本当は自分が元気を与えたいのにたくさんのパワーをいただいた。

 

金曜日は何をしたんだっけ。

 

水木、疲れ切って、正直記憶があまりない。

あ、やる気がめきめき湧いてかぼちゃのお菓子を作ったんだった。

やっぱり楽しかったし、喜んでもらえることが嬉しかった。

 

公園にサイクリングに行ったり、

それで力尽きてお昼寝したり、

満月を見に18:30頃散歩に出かけたり。

きっと、いいお休みだったと思う。

(満月の次の日にお家のお庭から、彼と一緒に月を見た

近所の子どもが「おつきさま〜」と声を出していた。幸せな瞬間だった)

 

 

日曜日の夜は5ヶ月ぶりの美容院。大好きなスタイリストさんと久しぶりに話して元気をもらった。

そして、その後、ちなちゃんに会えた。

友達と会うのは多分、8月の13日くらいぶり。。。

嬉しくてたまらなかった・・・。

 

しんちゃんの話をしたり(AMAZINGで盛り上がれる喜び)

外の席に移動して、今の恋愛観や仕事観、赤裸々に話して、本当にスッキリした。

大好きな友達。

周りから見たら?見た目も違うし仕事も全然違うし

ちぐはぐ?かもしれないけれど

根底に通ずるものが多すぎて。誰よりも心地よいなあこの人、そしてあの場所。と幸せな夜だった。

 

 

お休みの日はまだまだ人と会ったりする気力や勇気はないけれど。

 

病院に行って、傷病手当の期間も長くもらえて安心したし

あの時お世話になった看護師さんに笑顔出会えたことが嬉しかった。

 

今日は、柳瀬川の近くのカフェに行って、

図書棚の中が、私の脳みそみたいだなと感じた。ここで働くのもいいかな、なんて思った。

好きな本を読んで、もっとじっくり読みたいな、なんて感じて。

ちょっとお買い物をして、図書館に寄って、帰った。

ソファでゆっくりする時間もあって、お休みの日という感じのゆったりかん。しみじみ。

 

そして自分をわくわくさせる今の1番の要因。

色々と予約しちゃった〜〜〜。うしし。

これから相談、というちょっと順番はおかしいけれど、

今の胸の内を理解してもらえるように、

自分自身でも納得がいくように、明日お話ができればいいな、と考えている。

 

10月3日。

28歳半年。

 

後半年で29歳。

 

28歳、よく頑張ったよ、よしよし。

残りの半分、自分に優しく、厳しく、穏やかに、でも心躍る方に、時に難しいことともぶつかり。

 

いい時を過ごせたなと自信を持って言えるように。