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いろいろな気持ちがごちゃまぜの日々を送っている。

 

一番は嬉しさ・幸せ・喜びの気持ちだ。

大きさで言うところの、いちばん。

 

頻度でいうところ、一番占めている感情は不安だ。

また何かあったらどうしようという恐怖だ。

 

 

当然のことだから、この気持ちを消すことはできないけれど

それでもやっぱりこの気持ちを持ち続ける状態はなかなか楽では無いものだ。

 

でも今日、ひとつ素敵な言葉に出会った。

 

魂が

来ることを選ぶ自由

帰ることを選ぶ自由

 

赤ちゃんにその自由と選択権があるんだものね。

 

きて欲しいのは私の感情、私の望み。私のエゴ。

 

赤ちゃんの魂がそうしたかったから、そうする、

そういう魂の動きもあるんだということを知って

なんだか少し気が楽になった。

怖い気持ちは全然あるけれど、もし何かあってもそれは

魂のした選択で

私の望んでいることとはまた別の話なのだ。

魂の望みを聞くことのできる親になれればそれは本望なのかもしれない。

 

 

先週の土曜日、ちょっと仕事を頑張りすぎた瞬間があった気がした。

あの時、どうするのが正解だったんだろう。

まだほとんどの人には言えていない状況で

忙しい時ほど人の手が必要なのに

そんな時にわたしゃ今そんなに動けません、なんて

そんな役に立てない存在ほど、悲しいことはあるのだろうか。

 

でももしそれで赤ちゃんに何かが起こったら。

今の週数ではあまりそういうことには関係しないかもしれないけれど

もう少し時間が経ったら

ここのあたりの心や体のいうことを

どう周りの人に理解してもらい協力をしてもらうか・・・。

難しいけれど、折り合いをつけられるように

頭の中をしっかり整理して

今後何かあった時に私も皆さんに手を差し伸べられるよう、

そういう意志を示して、

どうにかやって行けたらいいな、と思う。

 

 

人と会いたいのに

喋りたいのに

ちょっとそれはお休みをする日々、

 

 

次の週末の休みは

乗馬して、ティールームに行って、爽やかな山の空気を吸って

そんなことをひと月前くらいまでは考えていたけれど

それがどこがで実現しない気がしていた。心の中でどこかわかっていた。

 

この週末の自分の体調がまだまだ読めないけれど

鎌倉で海の空気と太陽を思いっきり浴びられたらいいな。

もしできなくても、今は赤ちゃんを一番にしたいから、それはそれでいいなあ。

 

 

 

今日の一粒万倍日もまたお寺に行った。

この間25日も。

文字通り、今米粒にも満たない小さな赤ちゃんが

何倍もの大きさになってすこやかに育ってくれますように。

その思いでいっぱい。

 

この魂に会える日がとってもとっても楽しみだ。

 

一緒に買い物をしてくれたり

洗濯物をたくさん干してくれたり

感謝でいっぱいの旦那さん。

 

きつい言い方をしたことを反省している。

ふたりで少しずつ、すてきな親になって行けたらいいのよ、それだけなのよ。

 

 

 

夏の終わり

グレースの投稿で聞いたSara Vaughanを私も聴いている

 

彼女の「生きていてよかったぁ・・・」の呟きが心に沁みて