17

 

 

しばらくの間「最高」が続いていたけれど

ようやくここで

かけ続けていたアクセルにブレーキがかかった。

 

漲る力で張り切る毎日、

楽しくて仕方ないつもりだったけれど

ちょっとさすがに、という容量で溢れ返ってしまい

20分ほどだけど、ダウンした。

そこからまだ、呼吸は整っていない。

 

やはり、無理をしていたんだ。

 

自分意外と元気じゃん!と続けていられるつもりだったけど、

自分自身でそれを制御することができた、今はそう思える。

 

いろいろ原因ははっきりとわかっていて、

一つ言えることは

彼女のために今私ができることは

安心して休める環境をがんばってつくることで、

それができるなら、という気持ちで

キャパオーバーになれるくらい、毎日を生き抜くことができていた。

 

うつわから、抱え切れる以上のものが溢れてしまって、

人前で久しぶりに泣いた。

 

散々迷惑かけたのは分かっているけれど

でも、

これでよかったのかもしれない。

 

わたしだけじゃなくて

みんなもSOSを出している。

みんなつらくて、でも彼女のために頑張りたくて

踏ん張っていた。

 

それはみんな一緒だった。

それがわかったことが

わたしはうれしかった。

 

今こうなったのは意味があることと思えていて

そこまで腑に落とすことができたのは

今日ゆっくりあやかさんとお話ができたから。

 

友達の前で泣くことってここ数年でなかったのに

さすがに今日くれた言葉たちには

今弱っている涙腺もあって

負けに負けてしまい

ところ構わず、涙流す、そんなことを久しぶりにした。

 

でも心は温かくて

じーんと重くて

愛が詰まっていて

 

なんかいもくりかえしたけど、

方向は間違っていない、大丈夫。

でもここで気張りすぎても仕方ないよ、そうやって自分自身が教えてくれたのだ。

 

あやかさんの言葉は胸に響いてばかりだったけど

1番心に留めておきたいなと思ったのは

「人のこころはうつわ」という

あやかさんのおじいさまのお話。

 

与え合っている、補いあっている

パートナーや一緒に働く仲間との言葉や心のやりとり。もちろん行動も。

時に溢れて、収めきれないときもある。

 

傷ついて、

壊れたり、割れたり、かけたりすることもある。

それを直してもっと広いものにしたり、美しくしたりすることもできる。形を変えることもできる。

 

でも金継ぎしたその形は目に見える。

つまり、一度ついた傷は、完全に元に戻ることはない。

 

でもそれをしてこそ美しくなるうつわがある。

ずっと使い続けたいとおもうきっかけにもなる。

 

なんか、全てに通ずることだなぁと

すごく心に沁み入るお話だった。

 

それがまた、あやかさんのおじいさまの言葉だということも大きい。

 

 

 わたしは

おじいさんとかおばあさんのお話をするのがだいすきだ。

聞くことも、話すことも。

先祖って本当に大切で、ふかいつながりがある。

 

おじいちゃんと

思い返すと生前まともな話をしたこともない気がするけど(祖父は私が中2の頃に亡くなった)

夏にお腹をだしたり

トマトやチューリップが大好きで 

同じものが中に流れている、それをすごく強く感じる。

 

お庭が今こんなに好きなのも

そう気づいたのも

きっと祖父が教えてくれたこと。

 

 

家族のつながりのあたたかさを教えてくれた祖母のことも

やはり誰よりもだいすきで大切で。

夜遅くてもお味噌汁やお茶、温かいものを用意してくれる。

お風呂もね。

そうなりたいし、それが自分の中にやはり、在る。

 

それぞれのひとには、祖父母とそれぞれの関係性があるけれど、

とにかく

あやかさんとわたしはそうやって先祖の心や、

その存在そのものをとても大切に思っている。

そういうことに共感できる人が身近にいて、本当に幸せだ。

 

 

 

まだまだ続きを書きたいけど、とりあえずここまでかな。

 

月曜は母と小金井あるき、おふろ、

ゆっくり夕ご飯たべて  

この後は大切な友人のイギリスへのお見送り。だいすきなひとたちにあえる。

 

 

すこしつらいけど、

頑張れる愛の源を心の中に

思い出の中に持っているわたしは、

とても幸せで、恵まれていて

自分が思っているより

きっとつよい。

 

自分を、

自分の友達のようにみとめて、ほめてあげる

明日から実践したいこと。

 

ここまでがんばってきたね!!!

 

 

 

 

 

(ですますやめました)